第30話 魔法使いの国 ヴァルディアルへ
「一緒にヴァルディアルに来てくれないか」
コルヴァンにそう言われたのは、フェルが去って三日後のことだった。
「私……行っていいんですか?」
「家族に紹介したいんだ」
その言葉に胸が跳ねる。 家族に紹介……。
ただの隣人ではなく、大切な存在として。 そういう意味に思えて。
「昨日フェルから手紙が届いた。 父と母も君に会いたいそうだ」
「……!」
驚きとともに足元が少しふらつく。 会いたいと言われるのは嬉しい。 でも、魔法使いの王国の王と妃。 そんな人たちに自分が会うなんて――。
ドキドキしながら「な、何を持っていけばいいんでしょうか。 お土産とか服とか……!」
「そんなに気にしなくてもいい」
「でも! 粗相をしたらどうしましょう。 せめて焼き菓子を……!」
「はは、気にしすぎだ」
コルヴァンは笑って言うけれど、彼が当たり前に育った環境はミレナにとって未知の世界だ。
出発は春。 使いの者が来るそうなので、それまでにパン屋のおじさん、おばさん、町長、エルマンにもヴァルディアルへ行くことを伝えることにした。
それからのミレナは出発までドキドキしながらも、コルヴァンが育った国はどんなところなんだろう……と少なからずわくわくもしながら過ごしていた。
パン屋では――
「魔法使いの国へ行くって? ミレナが行って大丈夫なのか?」とおじさん。
「なにも心配することはない。 俺がついてる」とコルヴァン。
「それでパンの配達なんだけど……」とミレナ。
「気にしなくていいよ。 町のみんなには私から伝えておく。 気をつけて行くんだよ」とおばさんはミレナの手を握った。
町長の家では――
「ほう〜、ミレナが魔法使いの国へな〜」と目を丸くして言う町長。
「アルディスになにか伝えることはないか」とコルヴァン。
「んー、次来たときは手土産持参でなと」と言う町長にクスッと笑うミレナとコルヴァン。
エルマンの本屋では――
「そういうことでしばらく絵本野納品はできない。 すまない」
「いやいや、いいよ。 ゆっくりしておいで。 私が言うのも変だが、帰れることができて本当によかった」エルマンはコルヴァンの手を握り喜びの笑みで言った。
「……ありがとう」つられてコルヴァンも少々目が潤んだ。
「ミレナちゃん、不安なこともあるだろうがコルヴァンさんがついていればなにも心配はいらない。 新しい世界を見ておいで」
エルマンの柔和な言い方に安堵して「はい」と答えるミレナ。
そして春。 雪が溶けて土の匂いがしはじめた頃。
ミレナは窓を開けて大きく伸びをした。
「今朝はなんだか靄が濃いですね……」
「そろそろだな」
「え?」
コンコンと玄関ドアのノック音が聞こえて出てみるとそこには一人の老婆が立っていた。
「お迎えにあがりました」と言う老婆と目が合い緊張するミレナ。
「ミレナ、仕度はできているな?」
「は、はい」
コルヴァンに言われた通りいつでも出発できるように荷物はまとめていた。
「彼女は番人のグリマズ。 ヴァルディアルへ案内してくれる」
「コルヴァン坊っちゃん、お久しゅうございます」
「ああ、また案内を頼む」
二人のやり取りを聞いていたミレナは「(そうか……コルヴァンさんはこの町に来るときグリマズさんに案内してもらったんだ)」と思った。
森の中に立ち込める朝靄の中を歩く。
小枝の上に落ちた白い雫が光り、靴音だけがひそやかに響く。
しばらく歩くと山々に囲まれた大きな川に出た。
川面には朝の光がきらりと反射し鳥たちの声が空に溶けていく。
「ミレナ、さあ乗って」
コルヴァンが差し伸べる手を握って船に乗ると、川の冷たい水面にわずかに震える波紋が広がった。
グリマズは軽く杖をつき、深い声で呟くと船はゆっくりと動き出す。
ミレナは胸が高鳴り、川風の匂いと靄に包まれながら景色を見つめる。
「きれい……」思わず漏れた声は、緊張と感動が入り混じったものだった。
靄が濃くなり、山も川面もぼんやりとしてきた頃――
「もうすぐ着く」コルヴァンの声が耳に届く。
やがて川の靄が少しずつ薄れ、遠くに白く輝く建物が見えてきた。
城の先端は朝日に反射して金色に光り、城全体がまるで空に浮かぶように見える。
「見えるか?」
コルヴァンの声に振り向くと、彼の瞳にも喜びの色が混ざっていた。
「……あ、あんなに大きい……!」
思わず息を呑むミレナ。 遠くからでも感じる威厳をまとった立派な城に驚く。
「(あの城がコルヴァンさんの家……)」
船はゆっくりと岸に近づき、グリマズが杖を一度叩くと岸辺の石段が光を帯びて現れた。
「到着です」
グリマズは静かに微笑む。 声には不思議な安心感が宿っている。
「……ありがとうございます。 グリマズさん」
ミレナは深く頭を下げた。
その声にグリマズは優しく微笑む。
「では、行こう」
コルヴァンが手を差し出す。 ミレナは迷わずその手を握り返した。
石段を登りきると目の前に大きな門が立ちはだかる。
扉の重みを肌で感じながら、ミレナは一歩ずつ足を進めた。
装飾には精巧な魔法の紋様が刻まれ、淡い光を放っている。 まるで門そのものが呼吸しているかのようだった。
ミレナの手は少し震えていた。
けれどコルヴァンの手がそっと包む。
その温かさが不安を溶かしていく。
静かに、扉がゆっくりと開く。
軋む音もなくただ光が二人を迎える。
視界の端に広がるのは、白く輝く城の影と春の光に反射する石畳。
ミレナの心に、緊張と期待が静かに波のように押し寄せる。
恐怖や不安はコルヴァンの手の温もりに溶けていった。
深呼吸をひとつして、ミレナは小さく頷く。
そして静かにヴァルディアルの世界へ足を踏み入れた。




