第29話 新たな旅への準備
早朝。 早く目が覚めたミレナはふと窓の外を見た。
庭にはたくさんの絵本に囲まれたコルヴァンが魔法をかけていた。
「きれい……」思わず感嘆の声が漏れる。
絵本を自室へと収納したコルヴァンがミレナの視線に気づいて歩いてきた。
「早いな」
「コルヴァンさんも。 寒いので中入ったほうがいいですよ」
「そっち行っていいか?」
「あ、はい。 今からパン作りなので座って待っててください」
「ああ」
キッチン。
コルヴァンの視線を感じながらパン作りに取り掛かる。
ちらっとコルヴァンを見ると頬杖しながらこちらを見ていて温かい視線にドキッとした。
パンを石窯に入れてひと息吐いたとき――
「俺の一族について気になってると思うが」
「はい」思わず背筋をピンと伸ばす。
「俺の生まれた国、ヴァルディアルは父ヴァルドが治める魔法王国なんだ」
その声は、淡々としているようで、わずかに震えていた。
「……お父さんが、国王様……?」ミレナはごくりと息を呑む。
「俺はその末息子。 兄が三人いる。 だが……俺は一族の中で孤立していた」
伏せたままの瞳にかすかな影が落ちている。
「強すぎる力は恐れを生む。 兄たちは俺を避け、家臣たちも遠巻きにした。 居場所なんてなかった」
ミレナは黙って頷き、続きを待った。
「俺は……弱かったんだろうな……友を求めたが裏切られた」
彼の手が膝の上で強く握りしめられる。
だがそこで、ふっと声の調子が変わった。
「ずっと父に見捨てられたと思っていた……だが違った。 父は影で俺を守り、罰を軽くするよう手を回していた」
驚きとどこか温かい戸惑いの混じった表情。
「……嬉しかったよ。 馬鹿みたいに。 俺はずっと愛されていなかったと思い込んでいたからな」
ミレナは胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
「コルヴァンさん……友達を求めることはぜんぜん弱いことなんかじゃないです。 むしろ人を信じようとするのは強さです。 だから……これからは私が隣にいます。 もう一人にはしません……だって私もコルヴァンさんにいてほしいから」
しばしの沈黙。
コルヴァンは目を伏せたまま動かなかった。 だが次の瞬間彼の肩が小さく震え、静かな笑みが浮かんだ。
「 君は……強いな」
顔を上げた瞳はどこか照れくさそうで、それでもまっすぐミレナを見ていた。
「俺を恐れず隣にいると言ってくれるのは……君が初めてだ」
ミレナの胸が熱くなる。 思わずパンの焼ける匂いにまぎれて鼓動まで高鳴ってしまう。
「ありがとう、ミレナ」
その言葉は、彼が心の奥から絞り出した素直な感謝だった。
パンが焼き上がり食卓に並べられる。
温かいスープとポテトサラダも添えて朝食をとっていると――
ドンドンドン「おーい!」
玄関ドアを豪快に叩くフェルに気づき「あ、フェルさん呼ぶの忘れてましたね」とミレナが慌ててフェルを中へ入れた。
「腹が減りすぎてこっちから来てしまったぞ」
「どうぞ、座ってください」
フェルも交えて賑やかな朝食の時間を過ごした。
◇コルヴァンside◇
夜。 暖炉の前に座るコルヴァンとフェル。
「ミレナに話したよ。 こんな俺の隣にいると言ってくれた」
「そうか」安堵の目をするフェル。
「向こうへ戻るのはいつになりそうだ?」
「三月後だな」
フェルの言葉を聞いてふと思う。
「(三月後……俺がこの町に来てちょうど一年経つ頃か……)」
椅子にもたれて天井を見ながら「……礼くらい言っておくか」と呟くコルヴァン。
そんな彼の柔和な横顔を見て「素直になったもんだな」とフェルが小さく呟いた。
「ミレナのことなんだが」真剣な表情になったフェルが察して「ああ、わかってる。 連れていきたいんだろ?」
「頼む」
「先に行って報告しておく」
コルヴァンは深く息を吐き、暖炉の炎をぼんやりと見つめる。
「俺は……この町にいたい。 ここでミレナと一緒に暮らしたいんだ」
心の中で何度も繰り返す。 ヴァルディアルに戻ること、父に会うこと……それらは避けられない現実だ。 しかしここでの穏やかな時間を捨てることはもう考えられなかった。
外からは冬の朝の冷たい風が窓を揺らす。
だが暖炉の光とミレナの存在が、どんな冷たさも凌駕しているように感じられた。
「三月後……それまでにすべてを整理して、準備を整えよう」
コルヴァンはそう心に決め再び天井を見上げた。
静かに、しかし確かに未来への決意を胸に抱きながら――
そして必ずミレナと共に歩む。




