第18話 優しい時間の中で
エルマンの本屋に絵本を卸すのは月に二度。
最初の出会いからもう一ヶ月が経とうとしていた。
アルーゼアへ通う道のりも初めは小さな冒険のように感じていた往復も、今ではミレナにとって楽しみな時間に変わっていた。
通り過ぎる人々の笑顔や店先に並ぶ色とりどりの果物、朝露に濡れた石畳――目に映るすべてがどこか新鮮で心を弾ませた。
そして今日もエルマンのところへ来たミレナ。
最初は緊張したが温厚なエルマンと話しているうちに打ち解けていき、今では紅茶を飲みながら他愛もない話に花を咲かせている。
「(ここに来ると落ち着くなぁ)」
本棚を見ながら心の中で呟く。
「お嬢さん、本は好きかい?」
「はい、好きです。 あ、でも読むのはコルヴァンさんの絵本ばかりなんですけど」と苦笑い。
「彼の絵本は実にいい。 人を優しい気持ちにさせる力がある」
エルマンに褒められて思わず照れるコルヴァン。
とそこへカランコロンと扉が開き「おじいさーん」と女の子が元気よく入ってきた。
「おや、フィン、どうした?」
「この絵本読んでほしくて。 おじいさんが読むとわくわくするの」
女の子が持っていたのは先日卸したばかりのコルヴァンが作った絵本だった。
「こっちへおいで」とエルマンは言いフィンを膝の上に乗せて読み始めた。
ミレナとコルヴァンは少し離れたところからフィンとエルマンの様子を見守る。
小さな手でページをめくり目を輝かせて笑うフィンに自然と顔が綻ぶ。
そっとコルヴァンの方を見るといつもと違う穏やかな表情をしている彼に胸が温かくなる。
「おしまい」とぱたんと絵本を閉じるエルマン。
フィンは名残り惜しそうに「もう一回!」と言うと「お客さんを待たせちゃ悪いからまた今度ね」とエルマンが頭を撫でる。
「エルマンさん、よかったら私読みましょうか」とフィンの名残り惜しそうな顔を見ていたら黙っていられなくなったミレナ。
「いいのかい?」
「喜んで」と笑顔で答えてフィンを膝の上に乗せて読み始める。
ページをめくるたびにフィンの笑顔が広がり、ミレナもつい声のトーンを優しく調整する。
そんな二人の姿をまるで遠い日の記憶を思い出すかのように目を細めて見つめるエルマン。
コルヴァンとエルマンがなにか話してるようだが今はフィンはの読み聞かせに集中しようとする。
でも気になってちらっと横目で見ると切ない表情で話すエルマンと次第に顔色が曇っていくコルヴァンがやけに気になった。
◇コルヴァンside◇
フィンを膝の上に乗せて絵本を読み聞かせるミレナを少し離れたところから見ていて微笑ましく思うコルヴァン。
するとエルマンが「私の妻もね、ああして子供に絵本を読み聞かせていたよ」ととても切ない顔をして言った。
エルマンは遠くを見つめるように少し目を細め、ゆっくりと語り始める。
「私も昔、人間の女性を愛したことがある。 その人は本が好きで私が魔法使いだと知りながらもそばにいてくれたんだ」
コルヴァンは黙って聞いた。
「彼女を看取った後も私は人間の世界に残ることを選んだ。 愛した彼女の記憶と好きだった本に囲まれて生きていく――それが私の選んだ道だ……君の絵本には大切な人を思う気持ちを育てる力があるはずだ」
静かな時間が流れる。
コルヴァンは少し肩の力を抜き、遠い目でフィンを見つめる。
絵本を通して人の心を温める自分たちの仕事と、エルマンの過去が重なるように感じていた。
ふと思った。
自分はミレナがいなくなった後はどう過ごすのか――
今住んでいる家の隣にミレナがいなくなる。
朝、パンの香りがしなくなる。
エルマンのように思い出を胸に生きていくことはできるのだろうか……。
途端に悲しい気持ちになった。
そんなコルヴァンを察してかエルマン微笑みながら言った。
「私はね、妻と出会えて本当によかったと思っている。 優しい時間をくれた彼女に感謝しているんだよ」
優しい時間……。
俺もミレナに出会ってからこんなにも優しい時間を過ごせることを知ったな……と口元が緩んだ。
エルマンは本当に奥さんのことを大切にしていたのだろう。
だから今も奥さんとの日々を胸に刻み、静かに迷わずに日々を重ねている。
そう思ったコルヴァンはミレナを大切にしたい気持ちが強くなった。
――いつか自分たちもどんな困難があってもこの時間のように互いを大切にできるように。




