第11話 温かな香りに包まれて
翌朝。 ミレナは鼻歌を歌いながらパン屋へデニッシュを運ぶ準備をしていた。
そこへコンコンと玄関のドアのノック音。
早々とデニッシュを袋に入れてドアを開けると「おはよう」とコルヴァン。
「おはようございます」と笑顔を見せるミレナ。
昨日、コルヴァンと一緒にパンを作る約束をしたので今日は一緒に材料の買い出しに行くのだ。
歩きながらミレナは思う。
「(不思議……なにも話さなくてもこうして一緒に歩いてるだけで落ち着く。 コルヴァンさんはどうだろう……)」
ふとコルヴァンの顔を覗き込むととても穏やかな顔をしていたのでミレナはほっとした。
パン屋に着き、デニッシュを並べ終わると早速買い出しに行った。
粉選びでは――
「この粉がよくないか?」
「いいですけど……ちょっと高いです」
「今日は特別なんだからいいじゃないか」
「特別……あ! コルヴァンさんの初パン作り記念ですね!」
「……まぁそういうことにしておくか」とぽつりと呟くコルヴァン。
バターをめぐって――
「やっぱりバターは贅沢に使いたいですよね。 今日は特別なんだから」
「多く使わないとなにか違いがあるのか?」
「バター次第で仕上がりが変わるんです」
「じゃあ惜しむのはやめておこう」
卵や他の材料を買い終えて帰る道すがら。
「あら、あの二人お似合いね」と買い物途中のおばあさん。
「まあ初々しい」と花屋のお姉さん。
そんな町の人たちの声は二人には届いていないのだが、一人だけ二人の姿を見てヤキモキしている青年がいた。
「あっ!」
ミレナがよろけて卵を落としそうになりコルヴァンがかろうじで支える。
「俺が持とう」
「ありがとうございます」コルヴァンの腕に支えられてドキドキした。
家に着くとコルヴァンの家のドアからアルディスが顔を出した。
「アルディス、帰ってたのか」
「可愛い弟子が寂しがってるのではないかと思ってね。 でもその心配はなさそうだ」とミレナを見て微笑む。
「あの、これから一緒にパンを作るんです。 よかったら――」
「二人でゆっくり楽しむといいよ」
アルディスはミレナの言葉を遮り二人をほらほらとミレナの家に急かした。
「あ、私にも後でくれるかな?」と言うアルディスに「もちろんです!」とミレナは笑顔で答えた。
コルヴァンは「まったく……」とアルディスの気遣いに少々照れた。
キッチンで早速パン作り開始。
エプロンと三角巾を装着してまずは粉を計量。
コルヴァンは慣れない手つきで粉を計りながら「これで合ってるのか?」と不安そう。
「はい、大丈夫です。 ……あっ、それは入れすぎです!」
「すまん!」と慌てるコルヴァンにミレナは思わずくすりと笑ってしまう。
生地をこねるとき――
「力強く押して、手前に折り返して……そうです」
「こうか?」
真剣に取り組むコルヴァンを見ながら自分も生地をこねる。
コルヴァンは小麦粉を飛ばしてしまい、ミレナの頬につけてしまった。
「す、すまん」
「ふふっ、大丈夫です。 パン作りあるあるですよ」
二人の笑い声がキッチンに広がる。
一次発酵と二次発酵を終えてはちみつを混ぜたお湯で茹でる。
「パンを茹でるのか?」
「はい。 茹でてから焼くんですよ」
そして焼き時間中。
「こうしてゆっくり待つのもいいですね」
「……ああ。 落ち着く」
やがて焼きたての香ばしい香りが部屋いっぱいに広がり、石窯から出したツヤツヤなベーグルを出すと二人は思わず顔を見合わせて笑った。
「成功ですね!」
「ああ、悪くない」
試食をしようとしたところでタイミングよくアルディスが玄関のドアを叩く。
「お、焼けたかい?」
「タイミングがよすぎるぞ」
「匂いに誘われてたまらずね」
アルディスも加わり三人で試食。
「……おいしい!」ミレナの顔がぱっと輝く。
「外は香ばしくて中はふんわり。 コルヴァンさん初めてとは思えないです」
「いや、ほとんど君のおかげだ」
「本当に上出来だよ」アルディスも頷きながらもう一切れ。
「これ、切って野菜を挟んで食べるのもおいしいですよ」
「うむ、やってみよう。 後でいくつかもらえるか?」
「もちろん!」
食卓には焼きたての湯気と笑顔が満ちていた。
ミレナは胸の奥にじんわり広がる温かさを感じる。
「(こんな風に一緒に食卓を囲めるの、幸せだな……)」
一方コルヴァンも視線を落としながら呟いた。
「また……作ってもいいか?」
その言葉にミレナは嬉しそうに大きく頷いた。
二人のやり取りを穏やかな顔で見ていたアルディスは「さて、私はそろそろお暇しようかな」
「もういいんですか?」
「ああ、あとは二人でごゆっくり」とアルディスはウィンクしてコルヴァンの家に戻っていった。
「食べに来ただけかよまったく。 片付けくらい手伝ってくれたって」とコルヴァン。
「まあまあ。 パンの匂いってそそられますよね。 はやく食べたかったんでしょうね」
「……ああ、その気持ちはわからなくもないな」
食べ終わった後、二人はゆっくりと片付けを始める。
ミレナが食器を洗いコルヴァンが拭く。
静かなキッチンに二人の動作だけが響く。
コルヴァンが皿を拭きながら「……悪くないな、こういう時間も」と呟く。
窓の外には穏やかな午後の光が差し込み焼きたてのパンの香りとともに二人の心を温かく包んでいた。
その場にただいるだけで言葉にせずとも伝わる安心感と幸福感が静かに二人の胸に残った。
家に戻るコルヴァンを玄関まで送るミレナ。
「今日はありがとう」
「私の方こそ。 とても楽しかったです」
そのやり取りを陰から覗き見ていた青年がいた。
「なんてこった……」
青年の顔は焦りと嫉妬に満ちていた。




