第二節 分岐の扉(ドアーズ・オブ・デシジョン) 1
隔離施設からの帰宅は、州政府が用意した専用バスで自宅付近まで送ってもらうというものだった。統一政府としては、レオら収容者を少しでも誰かと接触させたくない様子だった。
ミナトやハクとは居住地域が異なっている為、別々のバスで帰宅することになっていた。
輸送バスの硬質なシートに腰を下ろしたレオは、深く呼吸をしようとして、無意識に胸を押さえた。隔離施設の乾いた空気と、抑圧的な日々がまだ肺の奥に巣食っているようだった。
謎の失踪を遂げたカミーユのことが気がかりだった。
どうやって調べようか思案するが、手掛かりが全くない。
しかもカミーユは施設の医療データベースに特異人物として記されていたわけではない。
だから分類不能人物との結果が出て、過去に連れ出された人達のように、どこかの施設に送られたというのとは恐らく違っていた。
このこともカミーユの行方を調べる上での障害になっていた。
気分転換に、窓の外に目をやった。かつて見慣れたはずの都市の風景が、まるで別世界のものに変貌していた。
ビル群の狭間を縫うように走る道路。その路肩には、プラカードを掲げて声を張り上げる群衆がひしめいていた。
「自由を返せ」「処分反対」「統一政府は我々を見殺しにした」――赤や黒の文字が並び、怒声と悲鳴が入り交じる。
レオの目が、デモの列から少し離れた場所で異様な光景に捉えられた。
一部の人工皮膚が剥がれ、金属が露出した機械人類が、超人類の青年に殴りかかっている。
青年の頬からは血が飛び散り、機械人類の拳はもう一度振り下ろされた。
周囲の人々はそれを止めるどころか、スマートレンズを起動させ、目の前の惨状を記録しようとしていた。
他にも異なる人類種間での傷害行為が散見されているのに、市民らが警察に通報している様子がまるでない。
「なんで……こんなことに……」
レオは小さく呟いた。誰にともなく、問いかけるように。
二週間。たったそれだけの時間が、この世界を変えてしまった。
飛霞自治州七彩市で起きた機械人類とトランス・ウルトラ・ヒューマンの衝突――レオは臨時支援任務として衝突直後に現地入りし、人々の荒廃した心を間近で見た。
あのとき感じた緊迫した空気が、今、正に、目の前で再現されていた。
隣の座席では、老人の機械人類が無言で目を閉じている。
反対側の窓際には、髪を真紅に染めたトランス・ウルトラ・ヒューマンの少年が、ヘッドセットを通じて誰かと通信していたが、その表情は常に警戒心に満ちていた。
乗客はみな、自分以外の存在にどこか怯えていた。まるでバスの中が、この分断された社会の縮図であるかのように思えた。
バスが信号待ちで止まると、窓の向こうに別の光景が飛び込んできた。ショッピングモールの前で、現生人類の一団が拡声器で怒声を張り上げていた。
『トランス・ウルトラ・ヒューマンは人類ではない!』
『我々の仕事を奪った機械人類を処分せよ!』
それを見つめるレオの瞳が、かすかに揺れた。崩れていくのは、目の前の街ではなく――彼がこれまで心のどこかで抱いていた、「世界はいつか理解し合える」という淡い希望だった。
暴力と憎悪が渦巻く都市の景色が、現実として彼の中に染み込んでいく。
この短い隔離期間の間に、何かが取り返しのつかない地点を越えてしまったように思えた。
それでも、バスは自宅への道を進む。
だがレオの胸のうちには、これまで自明だと思っていた「帰る場所」が、本当に今もなお〈安らぎ〉と呼べるのかという不安が広がっていた。
もはや、帰宅とはただの移動ではなく、崩れかけた現実に向き合うための旅のようだった。




