第七節 監視者 2
「井尻部長! 対応を!」
河内が叫ぶように言ったが、井尻は応じなかった。
彼はただ、警報の響く空間で静かに立ち、腕を組んでディスプレイを睨んでいた。
「静観する」
「しかし、それでは……!」
尾崎らが声を荒げるが、井尻の表情は微動だにしない。
その間にも、アーカイブ室では緊迫の状況が進行していた。
レオの背後に現れた警備用ドローンのうち一体が、音もなくスタンモードを展開し、無警告で光を帯びたビームを放った。
それに反応したのはミナトだった。
咄嗟にレオの前に飛び出したミナトは、背中に直撃するスタンビームを受け、短く呻いたかと思うと、そのまま崩れ落ちた。
レオが叫び声を上げるよりも早く、ミナトの身体は硬直し、床に沈んだ。
監視室では、島崎の指が震えながら端末を叩いていた。
「部長、外部へのデータ送信が継続中です! ファイアウォールの設計に含まれていない旧式OSからのアクセスによって、脆弱性が突かれている模様です! このままでは、施設内部の情報が流出します!」
「――送信させてやれ」
井尻の声は低く、だが確固たる響きを持っていた。
「し、しかし……!」
島崎が目を見開いて振り返る。
井尻は静かに息を吐いた。そして、かすかに目を細めながら言った。
「こんな野蛮で非人道的なことは、止めるべきなんだ。世間もここで何が行われていたのか、知った方がいい」
一瞬、誰もが言葉を失った。島崎でさえ、抗議の言葉を飲み込み、目の奥に強い動揺を浮かべたまま立ち尽くした。
井尻たちは、この施設に配属されてからというもの、ずっと腑に落ちない仕事を押しつけられてきた。
彼らはれっきとした政府職員でありながら、見たことも聞いたこともない部署の役人が突然現れ、「局長の直命だ」と言ってデジタル署名付きの公文書を提示し、分類不能の結果が出た子供たちを――混ざり者と呼ばれる彼らを――真夜中に、極秘裏にトラックへと載せて運び出していった。
政府の命令とあらば従うしかなかった。
彼らがどこへ連れていかれるのか、井尻たちが問いただしても、応じたのは無表情なアンドロイドで沈黙を貫き、数日後には局の職員が姿を見せ、「政府の密命であり、他言無用」とだけ言い残して消えていった。
つい先日も、どこか別の省庁から来た役人が、デジタル署名入りの通達を示し、篁ミナトという収容者について「精神特性監視対象」に分類するよう指示してきた。
その理由は「感情反応に人間的過剰があり、超人類としての安定性に懸念がある」という、曖昧かつ恣意的な医療判断だった。そしてその結果は、本人に直接伝えよ、と命じられた。
常識では考えられないような出来事の連続に、井尻たちは、政府が何かを隠していると確信していた。
だが、告発するにはあまりにも重すぎる現実だった。
命令に従い続けることで、彼らの中には次第に罪悪感が積もっていった。
内部情報の外部流出の黙認は、井尻にとっては、贖罪だったのだ。
自らが見過ごしてきたもの、沈黙してきたこと、そのすべてから少しでも解放されたいという気持ちが、今の行動の根底にあった。
そしてそれは、彼一人だけではなかった。
隣で黙っている島崎や、尾崎、河内、山田らの胸の内にも、似たような後悔と葛藤が巣食っていたのだ。
そのときだった。
施設全体に異様な波動が走った。低く、鈍い音が地中から響き、続いて各所の照明がぱたりと消え落ちた。監視室の大型ディスプレイに連なる複数のサブモニターが一瞬ノイズを走らせ、そして、音もなくブラックアウトした。
監視用ドローンが、EMP照射を行ったのだ。
だが――この部屋だけは、違っていた。
EMP(電磁パルス)への耐性を持つ特別な遮蔽処理が施された監視部室内では、主要な照明も、指令端末も、稼働を続けていた。外部との無線通信こそ一時的に途絶したが、有線回線を介した館内放送網と内部通信網は自動的にバックアップモードへと切り替わっていた。
「EMPが施設内部で照射されたな。さっき、施設内の情報の外部流出を防がなかったから、感知した中枢システムが外部漏洩の拡大を阻止するために、流出源に最も近かったドローンにEMP放射の指令を出したんだろう」
尾崎が眉をひそめた。
「センサーは全滅、監視カメラも使用不能。しかし、館内通信は生きる。これはEMP照射時の自動切替パターンですもんね」
島崎が頷きながら、代替通信のルート図をディスプレイに展開する。
「警備型アンドロイドや武装ドローン群を稼働させるべきタイミングです」
河内が背後の扉に目を向けた。扉の向こうは、EM耐性構造の保管室があり、数十体におよぶ高性能ドローン群と、アンドロイド兵たちが沈黙の中で並んでいる。電源投入を待つその姿は、まるで冷凍睡眠中の戦士のようだった。




