第六節 遮断 5
「……施設側にバレた?」
ミナトが呆然として呟く。
「ええ。遮断プロトコルが作動した!」
モニターにかじりつくカミーユの声が震える。彼女は必死に指を動かし、対抗手段を装置に命じる。
そのとき、別系統の外部通信モジュールが起動した。転送容量は制限されているが、映像とログの一部を圧縮して送信するには十分だった。
送信完了まで、あとおよそ三分。カミーユの意志は鋼のごとく揺るぎなかった。
「時間を稼ぐ。送信だけは……絶対に成功させてくれ!」
レオが背後から叫んだ。
「ミナト、俺たちでドローンを引きつけて、回避ルートを確保するぞ!」
「うん!」
レオとミナトは、即座にその意図を理解した。近くに転がっていた物を手当たり次第に掴み、ドローンに向かって投擲する。敵が反応し、注意を向けた瞬間、二人は別々の方向へと走り出した。
互いの動線を交差させ、ジグザグに走ることで、レオを追っていたドローンがミナトのドローンと交錯し、衝突。天井付近で爆発が起き、激しい火花を散らしながら機体が墜落した。
「あと……五十秒……」
カミーユの呟きは冷静だったが、その手には汗が滲み、キーボードを打つ指が微かに震えていた。
ファイアウォールは何重にも構築されており、通常の手段では突破不可能だった。だが、ファイアウォールの設計に含まれていない旧式OSからのアクセスを利用し、その盲点となる脆弱性を突いて、一時的なセキュリティホールを生じさせた。
レオは逆側の扉を開けて非常通路へと飛び出し、ドローンの注意を引いた。
即座に光学センサーが彼を捕捉し、ドローンが機械音声で警告を発した。
「検知──分類保留個体:危険度B。隔離命令を超過。鎮圧プロトコル起動」
「やれるもんならやってみろ!」
レオは転がっていたモップの柄を掴み、そのまま疾走しながら一体のドローンに渾身の一撃を加えた。
鈍い衝撃音とともにセンサー部が歪み、ドローンは火花を散らしつつ崩れ落ちる。
残るは監視用ドローン一機と、警備用ドローン一機。
その警備用ドローンが、容赦なくスタンビームを放った。
「レオッ!」
咄嗟にミナトは身を翻し、レオの前に身体を滑り込ませた。次の瞬間、鋭い音とともに背中にビームが直撃する。光が閃き、衝撃が全身を貫いた。
「う、ああっ……!」
叫びにもならぬ呻きが漏れたかと思うと、ミナトの身体はぐらりと傾ぎ、気を失ってその場に崩れ落ちた。
「ミナト――!」
レオの声が空間を震わせた。喉の奥から迸ったそれは、怒りと、悔恨と、深い絶望が溶け合った叫びだった。彼は駆け寄り、その細い身体を胸に抱きしめた。
ぐったりとしていたので、取り乱しつつも、彼女の額に手を当てて呼吸と体温を確かめる。意識はないものの、命に別状はなさそうだった。
その時、アーカイブ室から、かすかに震える声が届いた。
「……送信、完了。ログ……転送された……!」
カミーユの声だった。だがその響きには、ただの成功の歓喜ではない、恐怖と覚悟、そして儚い希望がないまぜになっていた。それは、何かを賭けて踏み越えた者だけが発する、静かなる勝利の報せだった。
声が空気を切り裂いたその直後、地下室全体が閃光に包まれた。目を焼くほどの白がすべてを覆い、瞬間、耳鳴りとともに感覚が消える。
――EMP発動。
監視ドローンが異常を察知し、最後の制御装置を起動させたのだ。電磁パルスは怒涛の波のように走り、送信装置、監視カメラ、センサー、そして通信機器までも次々と焼き切っていった。
「遮断完了」
無機質な合成音声が館内に響いた。有線回線を通じて告げられたその声は、まるで世界の終焉を告げる預言のように、冷たく、淡々としていた。
すべてが――止まった。
機械の駆動音も、電流のさざめきも、すべてが沈黙し、ただ静寂だけが残された。
レオは、崩れ落ちたミナトの身体をそっと抱き上げた。彼女の顔色は青ざめていたが、呼吸はあり、深く眠っているような表情を浮かべているだけだった。
安心と不安が入り混じるなか、レオはその頬に触れ、静かに呟いた。
「すまない。庇ってくれて、ありがとう。……大丈夫だ。すぐに目を覚ます」
その言葉はミナトに向けたものというより、むしろ自分自身への言い聞かせだった。彼は彼女の手を握りしめ、わずかに震える指先に力を込める。
レオの肩に、そっと手が置かれた。
カミーユだった。瞳の奥に燃えるものは、強い決意と、痛みに似た覚悟だった。
「……なんとか、成功させられた。これで、この場所で続けられてきた非人道的な行いは、もう止まると思う。だけど……私たちは、もう戻れない」
その声には、終わりの鐘と、始まりの足音が同時に響いていた。
「……なら、もう選ぶしかない。進む道を」
レオの声は、かつてないほど低く、穏やかだった。だがその言葉には、芯のようなものがあった。揺るがぬ意志、守るべきものへの誓い、そしてこれから訪れる未来への問いかけが。
彼は、ミナトの頬に指を添え、やさしくその温もりを確かめながら、ふと、遠くを見つめるように呟いた。
「今度は……外が動く番だ。俺たちは、世界に“問い”を放ったんだ。――“境界にいる者は、果たして人間ではないのか”って」
その言葉に、カミーユは静かに頷いた。
そして彼女の口から洩れた最後の一言は、地下の静寂を裂く、微かな祈りのようだった。
「それでもいつか……この問いは届くと信じてる。人間が、人間であることを諦めない限りは」




