第三節 保留の代償 2
ヴァレンティナは一歩近づくと、さらに続けた。
「判断の一助として、伝えておくわ。君の職場にいるもう一人の分類診断者――篁ミナトの判定結果について」
レオの胸の奥で、心臓が強く脈打った。
ミナト――自分と同じ混ざり者だと知って以降、ずっと親近感を覚えてきた相手。
彼女がどのような判別を受けたのかは、レオにとって他人事ではなかった。
「篁ミナト。推定される父母は、超人類、もしくは遺伝子改造によって高知能を得た現生人類。ただし、正確な出自は不明。彼女自身のDNA配列には、受精卵段階での編集履歴が明確に存在し、分類上、超人類の基準には届かず、現生人類の枠にも収まらない」
淡々と語られるホログラムの声。機械の言葉には情がなかった。それがかえって、判定の冷酷さを際立たせる。
「倫理的ガイドラインに照らした場合、該当個体は分類不能、かつ倫理的問題を抱えるものと判断される。ただし、出生記録が存在しないこと、及び外部要因による分類不能と推察されることにより、現時点では『みなし超人類の現生人類』として仮登録を継続することが妥当と推定される」
レオは、思わず息を呑んだ。
それだけではない。声はさらに、追い打ちをかけるように続けた。
「知能検査において、超人類と同等以上の認知能力を確認。本人が希望する場合に限り、超人類への登録も合理性を有するものと認定。本個体については特別猶予措置を発令し、一ヶ月以内に帰属人類種を自ら選択する権利を付与する」
「……選ばされるのか、彼女も……」
レオは呟いた。
真実を何も知らずに生まれ、育ち、生きてきた彼女に、自らの“人類としての帰属”を問うということ。それは、制度や科学の話ではなかった。アイデンティティという、誰もがひとつしか持ちえない核を、他人に晒し、評価させ、切り取られるということだった。
分類の外側に生まれ落ちた者たち。生き辛さの果てに、混ざり者と呼ばれる人々の群れ。
もしも遺伝的に純粋な超人類、現生人類、あるいはトランス・ウルトラ・ヒューマンに属していれば、社会は彼らにラベルを貼り、道を与える。しかし、混ざり合った遺伝子を持つ者には、そのどれもが当てはまらない。選ぶというより、“切り捨てる”という選択になるのだ。
ある者は、能力が足りないまま超人類として登録され、社会に弾かれた。ある者は、強すぎる能力を抱えて現生人類に身を置いたが、周囲との乖離が彼の心を蝕んだ。中には、機械との融合に失敗し、トランス・ウルトラ・ヒューマンになることができず、身体と精神の両方を傷つけ、どの世界にも居場所を見いだせなかった者もいた。
だから、混ざり者たちは群れを成した。名前を、種別を、ラベルを、捨てて。
そんな彼らに無理矢理ラベルを与え、純粋な人類種としての生き方を強要することは、死ねというに等しい暴挙だった。
「……冷酷すぎる」
レオは思わず呟き、視線を伏せた。
「冷酷? 違うわ、それは“自由”よ」
鋭く、それでいて静かな声が、レオの内面を刺し貫いた。
「過去を欺かずに、未来を選ぶ権利。それを与えられているということよ。彼女は今この瞬間、人類の中で、最も自由な存在になったの」
その言葉は、刃のように胸を切り裂いた。
自由――その冷たい響きが、レオの中で鈍く軋む。選択とは、望むものを選ぶことではない。捨てねばならぬものを、自らの手で見定める行為だ。選ぶということは、切ること。断つこと。決別すること。
だからこそ、苦しい。
「もう一度訊くわ。大川戸レオ。あなたは、どうする?」
静かに、しかし確かに浮かび上がるホログラムパネル。そこには、三つの選択肢が並んでいた。
――現生人類として登録
――超人類として登録
――登録を保留する
まるで、運命のトリガーがそこにあるかのようだった。
だが、レオの思考は混乱の海に沈んでいた。自分のこと。ミナトのこと。そして、この社会のこと。あまりにも多すぎる情報が、脳の中でうねり、絡まり、ほどけない。
「……今ここで、答えを出すなんて、できない」
静かに、しかし断固として言ったその言葉に、ヴァレンティナが答えた。
「それなら『登録を保留する』を選択して。ただし、登録が完了するまでの期間中は、指定された施設にて隔離措置が適用される」
冷たい処置。しかし、それは社会の機能そのものだった。人間の存在を、どこかにきちんと格納しておかねばならない。
レオは静かに頷いて、ゆっくりと瞼を閉じた。一呼吸間の後、目を開き、迷いを孕んだままホログラムパネルに指を伸ばし、ゆっくりと「登録を保留する」の文字を選択した。
その瞬間、透明な音が空間に響き、パネルが淡く消えていく。
保留したという選択。その重みは、レオの肩にじわりと沈殿していった。




