第三節 保留の代償 1
分類診断室は、異様なまでに静まり返っていた。
耳を澄ましても、機械の作動音ひとつ聞こえてこない。ただ、空気が冷たく張りつめており、室内の冷却システムすら、音ではなく感触としてしか伝わってこない。
無音の中で、レオは中央に浮かぶホログラフィックパネルに視線を注いでいた。淡く蒼白い光を放つそれは、まるで感情を持たない幻の鏡のように、ただ事実だけを映し出していた。
──種別:分類不能(特異点補正有)
レオは、その一文から目を離すことができなかった。
「特異点補正」という表記が何を意味しているのかは、彼にとって明白だった。自身の出生が、どれほど規格外であったかを、これ以上ないほど端的に示す単語だったからだ。
彼の肉体は、アンドロイドの父を模して作られた人工DNAを起源とし、それを基に創られた人工精子と、現生人類である母の卵子とを人工授精させて生まれた。
だが、それは単なる混合ではなかった。人工的な遺伝子配列の中には、現生人類、超人類、トランス・ウルトラ・ヒューマン――それぞれの人類種の断片が散りばめられ、まるで遺伝子そのものが一つの実験場となっているかのようだった。
人間の枠に収まりきらない存在。それが、大川戸レオの実体だった。
「……君の分類は、分類不能」
背後から声が響いた。低く、冷ややかで、重力のある声。
レオが振り向くと、診断室の奥の扉から白衣を纏った中年の女性が現れた。ヴァレンティナ・セリス――統一政府識別局の主任検査官であり、識別基準の制定に関わったとされる女。肌の質感こそ滑らかで、生体年齢は四十代に見えるが、その瞳には冷徹と断絶の光が宿っていた。
「そんなことはわかってる」
レオは声を荒げることなく、淡々と告げた。
「今日は、数値によって強引に線を引いた結果を知らされるための日なんだろ」
「その通り」
ヴァレンティナは表情一つ変えずに頷いた。
「その結果、あなたは“分類不能”であると正式に判断された」
耳を疑う――という言葉は、まさにこの瞬間のためにあった。
「そんな馬鹿な」
レオの声音に、苛立ちと混乱が混ざる。
「俺の母は、公式な手術で一部遺伝子に後天的に手を加えているとはいえ、現生人類の父母から生まれたノーマルな現生人類だ。父はアンドロイドだが、形質の似た遺伝子を人工的に組み合わせてDNAを作ったにすぎない。俺のカテゴリーは現生人類に属してるはずだ」
「そうじゃないのよ」
ヴァレンティナは冷ややかに言い放った。
「分析結果は明確だった。君は、いずれの人類種にも完全には属していない。むしろ、すべての種に触れながらも、どれにも深くは交わらない。円グラフに四種の人類を描けば、その交差点、中心点に限りなく近い場所に位置する存在――それが君。“純血”の時代に取り残された、境界の申し子」
その言葉が、レオの足元を崩していく。まるで床が急に液状化し、彼の身体を底なしの沈黙へと引きずり込むかのようだった。
「厳密にはね、君は現生人類、超人類、トランス・ウルトラ・ヒューマン、全ての遺伝的系譜と微細な接点を持っているの。無機体で遺伝子を持たない機械人類すら、彼らの気質に類するということで、機械人類の遺伝子と呼ばれるものがあるけど、きみはそれまで持っている。でも、そのすべてにおいて、決定的な優位性や支配的な形質が存在しないのよ。これほどまでに均質に分散した遺伝子構成は、私も初めて見たわ」そして機械人類に至るまで、
「全てに属している……?」
レオはかすかに声を震わせた。
「そう」
ヴァレンティナの目は、その時だけ、少しだけ柔らかくなった。
「全てに属し、同時に、どこにも属していない。きみの分類不能は、そういう意味よ。君のように創られた存在は過去にも例がない。だから、今後は特別観察対象として隔離される方向で検討されている」
言葉が途切れた瞬間、部屋は再び沈黙に沈んだ。
一分――あるいは、それ以上かもしれない。その時間の重みが、レオの肺に冷たい水を注ぎ込むようだった。沈黙を破ったのは、再びヴァレンティナだった。
「ただし、例外的措置が存在する」
彼女は冷静に告げた。
「一定の条件を満たした分類不能者については、“自らの意志で所属を宣言すれば”、暫定的にその種に所属させる制度があるの」
レオは顔を上げた。
「あなたの場合は、現生人類への帰属が最も妥当とされている。母の血筋が明確であり、現生人類社会との関係も深い。また、あなたは“みなし超人類”でもある。特例により、正規の遺伝子改造手術を受ければ、超人類として登録することも可能よ」
彼女の目が、真正面からレオを捉えた。
「選びなさい、大川戸レオ。あなたが“自分を何者と認めるのか”を」
選択を迫られることはわかりきっていたので、レオはここに来るまでの間、ずっと悩んでいた。
母の側に立ち現生人類と認めるか、技術進化の象徴である超人類の道を選ぶか――だが、そのいずれもが、父の存在にたどり着く道ではない。父はアンドロイド。分類不能の最たる存在。人間のように言葉を話し、感情を持つが、決して「人類」に含まれない。
そんな存在を、彼は愛し、そして半分はその血を引いている。
現生人類の母、分類不能のアンドロイドの父を持った存在。
それが彼のアイデンティティだったからだ。
しかし、今、ここで突きつけられ事実は、その上を行く、もっと残酷だった……。真正の”分類不能”。全てと接点を持っているが、どこの所属とも呼べない境界の申し子。
しかしそれ以前に、今日伝えられた事実……全てに属し、同時に、どこにも属していない。きみの分類不能
「……俺は、現生人類にすら帰属させてもらえないのか」
その呟きは、氷のように静かで、しかし刃のように鋭かった。
「ええ。たとえ現生人類として登録されたとしても、あなたはあくまで“みなし現生人類”――遺伝的には、分類不能であるという事実は変わらないの」
それは、紛れもない追い打ちだった。
 




