第八節 影の渦動 1
飛霞自治州中枢管理圏第三区・中枢統合制御特域地下八階、アクセスランクSSSの許可者のみが入室を許された会議空間。
漆黒の壁面に淡く浮かぶ光子パネルが波紋のように揺らぎ、中央に鎮座するコの字型の重厚なテーブルの周囲に、統一政府進化政策局特務計画部の幹部たちが無言で座していた。
同部は幹部、職員共にトランス・ウルトラ・ヒューマンのみから成り立っており、統一政府内のトランス・ウルトラ・ヒューマン派閥が掌握している部門だった。
会議の開始を告げる合図は不要だった。空間全体が異様な沈黙を孕んでいた。
奥に位置する最上席に、部長が腰を下ろしている。その眼光は冷徹で、皮膚の温度すら制御されたかのように無機質な存在感を放っていた。
やがて、部長が低く、鋭く口を開いた。
「愛知湾岸中央水産研究所の地下サーバー棟、ならびに〈エリュシオン・ノード〉第七地下層独立記録保存サーバ群への不正アクセス問題はどうなった?」
部屋の空気が僅かに張り詰める。担当官が、モノトーンの制服を正して立ち上がる。
「犯人は未だ不明です。外部からの侵入ログは存在せず、内部経由の可能性も含めて現在解析中です」
部長はわずかに目を細めたが、何も言わず次の問いを放つ。
「愛知湾岸中央水産研究所で発生している生命体の異変についてはどうだ?」
部長の鋭い問いかけに、着座していた調査担当官が立ち上がり、手元のデータ端末を軽く一瞥したのちに、落ち着いた口調で応じた。
「はい……あれは、現時点で発生源の特定には至っておりませんが、“自然発生的な進化”という見解は既に否定されております。研究員たちは“知性進化因子”と命名しておりますが、その起源については、高度な操作性と遺伝子干渉の痕跡から見て、ほぼ間違いなく人為的な介入によるものであると判断されています」
会議室内が一瞬静まり返る。冷えた空気の中で、誰もがその重大さを肌で感じ取っていた。
「その起源に関して、西アジア・シグマ帯にある旧機械人類の研究拠点との関連はどうなった?」
部長の問いに、担当官は即座に首を振る。
「照合は行いましたが、同拠点で行われていた類似研究とは、遺伝子操作の手法も、使用されたコード系統も一致しませんでした。よって、旧機械人類の残滓である可能性は、現時点で否定されております」
部長の視線が、担当官へと鋭く突き刺さる。重々しい沈黙を一拍置き、低く唸るような声が会議室に響いた。
「サーバーの件と研究所の異変……本当に、機械人類の仕業ではないのか? すべての線を洗ったのだろうな?」
その問いは、単なる確認ではなかった。疑念と警戒、そして責任を問う圧力を含んだ、幹部としての最後通告に近い響きを帯びていた。
担当官は一度だけ深く頭を下げると、静かに口を開いた。
「はい、部長。愛知湾岸中央水産研究所、ならびに〈エリュシオン・ノード〉第七地下層へのアクセスログ、そして不正侵入に使用されたアルゴリズムコードの全てを、既知の機械人類ネットワークおよび個別端末との照合を完了しております。その結果――」
わずかに間を置き、言葉を選ぶようにして続けた。
「――現在判明している限りでは、過激派の残党を含めた既存の機械人類ネットワークに属する存在による犯行とは考えにくい、という結論に至っております」
「属する存在“以外”だとしたら?」
「可能性としては否定できませんが、個体識別コードやアクセス経路の痕跡にも、機械人類特有の思考パターンや署名形式が一切確認されておりません。加えて、旧来の機械人類のプロトコルではなく、異なる設計言語による改変痕が検出されています。よって、現時点では“機械人類による犯行”の線は、極めて薄いと判断されます」
報告を終えると、再び会議室に静寂が満ちる。
部長は肘をつき、指先を額に当てたまま、誰にも目を向けることなく、ぽつりと独り言のように呟いた。
「機械人類の仕業でないとしたら……一体、誰の仕業なんだ……」
その呟きに、誰も答える者はいなかった。テーブルを囲む幹部たちは沈黙を保ち、ただそれぞれの視線を虚空に投げたまま、不可視の敵の輪郭を頭の中で探っていた。




