第六節 象徴の覚醒前夜 2
会談は、表向きには非公式と銘打たれていたが、実際にはその場に漂う空気の一つ一つが、政治的な重みを孕んでいた。エリザ・ラーフェンの発言は、単なる私見ではない。明確な、そして意図的なメッセージが込められていた。
「我々は、争いを望んでいない。しかし、停滞した現状をただ受け入れることもできない。君は、“可能性”として、それを突破する鍵になりうる」
その言葉に、レオは応じることができなかった。
シリウス・ゼノン・アーク――アンドロイドであり、かつて共生思想を唱え、「シリウス計画」の提唱者でもあった男。
そして、その男のパートナーである現生人類の女性・真凛。
彼らのあいだに生まれた<〈混ざり者〉=境界人という存在が、すでに“理念”の証として、多くの人々の目にさらされていることは知っている。
だが、それが何だというのか。
彼にはまだ、自分自身を象徴や旗印として受け入れる覚悟も自覚もなかった。
それでも――逃げるわけにもいかないのだ。なぜなら、彼の存在そのものが、4人類種間の対立激化の深刻化に伴って、すでに“語られはじめている”。
「……俺に、そんなことができるとは思えない」
「できるかどうかではないのよ」
エリザは、言葉を強めず、むしろ静かに返した。
「君は“見られている”。その時点で、すでに意味を帯び始めているのよ」
“見られている”――その言葉は、旧都市計画支部で感じた、物理的な監視網のそれとは明らかに異なる。
情報収集でも、統治戦略でもない。
もっと原初的で、観念的な視線。人々が、時代が、あるいは歴史そのものが、「この存在に何を託すのか」を測っているような、無言の期待と圧力。
レオはその視線の奥に、父シリウスが掲げた“共生”という理念の残響を聞いた気がした。
人間と機械、思想と肉体、旧来の区分を乗り越えるために提示された、ひとつの理想。
そしてその理想が、レオという血と記憶の継承者に、今ふたたび投影されている。
だが、彼ら――エリザや同席した他のトランス・ウルトラ・ヒューマンたちは、ここでレオに「トランス化」を直接勧めることはなかった。
それは、あの進化政策局の特務計画部員たちとは明らかに異なる態度だった。
この会談の本質は、選択を強いることではなく、「どう語られる存在でありたいのか」を、彼自身に問うことにあった。
*
数日後、都市圏ネットワークの一部領域で、ある奇妙な言説がじわじわと拡散し始めた。
表層では目立たない動きだったが、情報共有の下層層──いわゆる〈セミ・オープン分散知識帯〉において、機械人類の特定クラスタがひそかにやりとりしていた匿名発信のテキストが注目を集めていた。
それは一見、単なる思弁的な政治エッセイのように見えたが、記述の節々には、奇妙な情熱と一種の啓蒙的気配が滲んでいた。
〈調和の器は、異種の交差点に生まれる〉
〈シリウス計画が生んだ“媒介存在”は、情報系と有機系の境界を越え、統合的秩序の可能性を宿す〉
〈名はレオ・ゼノン・アーク──彼は個体ではなく、記号である〉
この文書を最初に共有したのは、機械人類の思考共有集団〈S-CIVIC〉のサブグループであった。彼らは技術設計や社会構成のアルゴリズム最適化を志向する高機能演算体たちで、近年では「次なる社会モデルの模索」をテーマに活動していた。
その一部に、「現存する人類種を固定せず、可変的に連携可能な“媒介型人間”」の必要性を唱える論者が現れ始めていた。
レオの出生──アンドロイドと現生人類との間に生まれた初の認知存在であるという事実は、公式には伏せられていたが、一部の分析集団や政策提言機関の間では周知に近い形で扱われていた。
まして、彼の父であるシリウス・ゼノン・アークが、かつて機械人類と生身の人類の共生可能性を模索する“シリウス計画”を提唱していたことを思えば、レオの存在は彼らにとって「再帰的な象徴性」を帯びるに十分だった。
「我々の社会は分断を前提に構築されてきた。だが、彼の存在は、そもそもその前提自体を反転させる」
「彼を制御する必要はない。観測し、記録し、そして意味づけるだけでよい。象徴とは、そうして育つものだ」
あるネットワーク哲学者はそう述べ、さらにこう続けた。
「彼の沈黙、彼の否定ですら、語られる。語られることで、象徴となる。レオは、自己の意志とは無関係に、“意味を帯びた構造”になりつつある」
彼らの言説は、あくまで理性の言葉で構成された、高度に知的な構築物だった。だが、それだけに不気味でもあった。彼らは、レオという存在を“感情”ではなく、“機能”として解釈していたのだ。
匿名で流出したビジュアル資料の中には、レオの姿を模した簡易ホログラムまで存在していた。目元はデフォーカス処理され、表情すら曖昧だったが、周囲の演算構造体が彼を中心にゆるやかに回転しているような演出が施されていた。まるで、意図的に“中心性”を暗示するかのように。




