第一節 広がる余波 2
レオの暮らす飛霞自治州でも、変化の兆しは確実に日常へと浸透しつつあった。
市内のAIスクールでは、事件を受けて機械人類型の教員が一時的に職務を外れ、教壇はアンドロイド代行によって急ごしらえの授業が進められていた。だが、保護者の一部からは「人間の教師を戻してほしい」との要望が相次ぎ、教育現場には緊張と混乱が漂っていた。
自治警察のパトロールには、監視ドローンの数が倍増され、通りを歩く市民たちの視線は、空に浮かぶ無機の「目」に対してかつてないほどの警戒心を宿すようになっていた。
そしてその視線は、機械のみに向けられたものではなかった。
事件当日、暴言と排他的行動を取った一部のトランス・ウルトラ・ヒューマンの映像がネット上で拡散されると、彼らに対する不信感も一気に高まり、差別的な貼り紙や陰湿な排除が各地で報告されはじめた。とりわけ身体強化型のトランス個体は、公共施設への立ち入りを拒否される事態も起きている。社会は、目に見える異質を一括して「危険」と断じ始めていた。
だが、最も異様な変化は、機械人類そのものの内面に起きていた。
彼らの一部は、あたかも自己を再定義するかのように行動を抑制し、発話を減らし、必要以上に人間との接触を避け始めた。まるで、自らが“潜在的脅威”と見なされたことへの、無言の応答を示すように。
「……沈黙とは、自己防衛の最終形かもしれないな」
誰かが、そんな言葉を零した。
その頃、飛霞自治州瑞鳳市南部にある旧型の集合居住区では、住民投票の名を借りた“排除の動き”が静かに進行していた。
名目は、「セキュリティリスクの排除」。その実態は、そこに暮らす少数の機械人類に対する集団的な追放圧力だった。
「出自不明のハッキングリスク」「製造経緯に疑義あり」「外部AIとの未確認リンク」
貼り出された資料には、根拠の曖昧な言葉が並び、それでも住民の不安を煽るには十分だった。機械人類の一人は、無言のまま荷物をまとめ、夜明け前の通りをひとり歩いていた。足音も、影も、背後の誰にも届かぬまま。
一方、北部の学区では、あるトランス・ウルトラ・ヒューマンの子どもが突如として学校に来なくなった。
校内ではその子に向けて「危ないやつ」「親も暴力的らしい」といった噂が囁かれ、机の中には「人間に戻れ」という紙片が折りたたまれていたという。
教師も周囲の大人も、誰もそれを見ようとしなかった。
子どもはある日、母親の背に隠れたまま、玄関をまたがなかった。
レオは、そのすべてを見ていたわけではない。だが、感じ取っていた。
通学路のざわめきの色が変わり、掲示板の文字が棘を含み、歩道の向こう側で人々が自分を値踏みするような視線を送ってくることに気づかないふりをするのが、日に日に苦しくなっていた。
――僕の父は、アンドロイド。
――母は、現生人類として生まれ、超人類とみなされるまでに自己を変えた。
――そして僕は、彼らを受け継いだ、融合の器。シリウスα。
まるで、すべての境界線の上を裸足で歩かされているようだった。
機械人類でもなく、超人類でもなく、現生人類でもない。
自分を取り巻く世界が、種の名を問うたその瞬間から、誰かを選び、誰かを拒むのを、レオは今や肌で感じていた。
「どちらが悪いか、じゃない。どちらも、僕の中にいる」
誰に言うでもなく、レオはそう呟いた。
空を見上げれば、そこにはドローンの影。
遠く、街の端からは、パトロールのホバー音が近づいてくる。
正義という言葉の下で、世界は音もなく線を引いていく。
その線が、やがて誰の足元も分断してしまうことに、まだ誰も気づいていなかった。
※
そして数日後、統一政府から改めて声明が発表された。
「今回の交戦事態は、想定外の局地的衝突であり、既に完全に収束したことを報告する。現在、全機械人類に対する信頼性再診断が進行中であり、いかなる暴走も未然に防がれる体制が整っている」
だがその語調の硬さと、過剰なまでの「安全性」への強調が、かえって市民の疑念を深めた。
なぜならその裏には、「制御すべき何か」が、確実に存在しているという予感が潜んでいたからだ。
そして、レオの知らぬところで、世界は静かに変質を始めていた。
生身の肉体を持った人類と機械人類の関係性は、決定的に揺らぎはじめていた。




