第一節 広がる余波 1
飛霞自治州南部の七彩市において発生した、トランス・ウルトラ・ヒューマンと機械人類との交戦――あの突発的な衝突は、「種の対立」という潜在的な火種を、一夜にして現実のものとした。
統一政府は当初、「両陣営の通信プロトコル間における一時的な相互認識エラーが原因」、「過剰反応を招いた誤認識」と説明していたが、衝突時の動画が出回ったことで、最終的には隠蔽し通すことは困難と方針転換を図った。
「局地的な思想過激派の衝突に過ぎない」「事態は平和的統制の範疇にある」との声明を発し、世界に向けて釈明したが、その言葉とは裏腹に、世界連邦構成諸単位は、統一政府の命令系統を待たず、独自の対応へと踏み出し始めていた。
アジア中央統合圏では、圏政府調整局が緊急勧告を発令。トランス・ウルトラ・ヒューマンによる差別的言動を明示的に排除するため、教育機関・研究施設・圏政府系機構において「対機械人類思想傾向診断」を義務化。
意図的な選別思想や機械人類排斥思想が検出された職員は、一時的な職務停止および再教育プログラムへの強制参加が命じられた。
また、同圏内では「相互存在権利尊重法」が可決され、混在型施設の運用に関して新たな規定が定められた。
機械人類とトランス・ウルトラ・ヒューマンが同一空間内で作業する施設については、事前に心理適応テストを通過した者のみに出入りを許可することとされ、衝突の可能性が高い組織単位では分離措置が取られるようになった。
一方、欧州連帯区では、事件を契機に逆に「制度的不信」の対象が機械人類へと偏りかけた。
議会内には強硬派のトランス・ウルトラ・ヒューマン議員が存在していたため、当初は「公共空間からの一時的機械人類退避」や「機械的判断に対する再審査」など、間接的な制限措置が講じられた。
しかし、抗議運動と国際世論の高まりを受け、最終的には「差別扇動発言の記録と制裁対象化」が導入され、特定の発言履歴を持つ個人や企業が罰則対象となった。
新ユーラシア連盟では、衝突事件の直後からネット空間での情報が爆発的に拡散された。
加工された映像や偽情報によって、「機械人類が先に攻撃した」とする虚偽のナラティブが形成され、結果として一部地域で暴徒化が発生。
だが、連盟政府は素早く対応し、AI法廷によるファクトチェックとアカウント停止を迅速に実施。加えて、全トランス・ウルトラ・ヒューマンを対象とした「思想傾向審査プロトコルVer.4.2」が適用され、排他的思想を持つ個体の社会活動への制限が始まった。
また、統一政府内の高官の一部にも差別的思想を持つ者がいることが判明すると、情報調査局によって秘密裏に査問が開始され、複数の要職者が職務停止処分を受けたと報じられている。
機械人類側からは、透明性の高い独立機関の設置を求める声が上がっており、「機械人類権利監視機構(仮称)」の創設が協議段階に入っている。
都市機能の面でも、混在居住区の再構成が始まっている。
とくに高リスク判定がなされた地区においては、衝突リスクの低減を目的としたゾーニングと、接触の必要性が低い業務の遠隔化が急速に進められている。
物理的な距離の確保だけでなく、心理的な隔絶の是正を目的とした共生教育コンテンツの義務化も検討されている。
「ロボットは人間を裏切る」「機械人類は人間を不要と見なした」「機械と融合して傲慢になった化け物トランス・ウルトラ・ヒューマンどもを許すな」――そんなセンセーショナルな文言と共に、不安と憎悪が都市に染み込み、各地で暴力的な排除運動の兆しが現れ始めていた。
※
衝突の非は機械人類、トランス・ウルトラ・ヒューマン、果たしてどちらにあったのだろうか。
統一政府の中枢、スイス・チューリッヒにある地下指令施設〈グローバル意思決定センター(GIDC)〉では、事件当夜から緊急会議が連日開催されていた。
GIDCを構成するのは、現生人類、超人類、トランス・ウルトラ・ヒューマン、そして機械人類の各代表者――しかしその実態は、各勢力の利害を代弁する影の政治的民間人によって代理されているに過ぎず、「人類の統一意志」は常に分裂と妥協の上にかろうじて成立していた。
「――我々が怖れているのは、個体の暴走ではない。システムが自らを守るため、論理的に『敵』を定義し始める瞬間だ」
そう語ったのは、GIDCの機械人類側代表、〈ゼロ・アダム〉であった。
往年の映画俳優のような渋い中年男性の顔を持つ彼は、冷静にこう続けた。
「交戦した機体群の意思決定ログを解析した結果、すべての判断は“自己防衛”と“抑止論理”に基づいています。彼らは明確にトランス・ウルトラ・ヒューマンの攻撃性を分析し、迎撃を選んだ。そこに“暴走”は存在しない。むしろ理性の極致だ」
それは皮肉にも、AIが純粋なロジックによって導いた最終回答だった。
しかし、その静寂を打ち破ったのは、トランス・ウルトラ・ヒューマン代表の一人、〈アリア・ネメシス〉だった。
額に薄い銀色の神経光線が浮かぶ彼女は、冷ややかな目でゼロ・アダムを見据えながら言った。
「あなた方は“抑止”を語るが、それは暴力の合理化にすぎない。確かに、現場にいた我々の一部は感情的な言動を見せた。だが、機械人類がそれを“敵性存在”と即座に判定し、ほぼ無警告に等しい状況で戦術行動に移ったことは、もはや自己防衛ではなく、選択的殲滅ではありませんか?」
「それに――」と、彼女は続ける。
「我々は“人間”です。どれほど遺伝子を書き換え、神経系を拡張しても、人間としての尊厳と感情を保持する者たちです。機械人類が、瞬時に命を奪う判断を“ロジック”の名の下に実行したのなら、その合理性こそが、最も非人道的な暴力となる」
発言を終えたアリアの言葉には、静かにしかし確かな怒気と痛みがにじんでいた。
人類の進化と機械の論理。その相容れぬ両極が、GIDCという巨大な円卓を挟んで正面から対峙していた。




