第四節 幻想の知性 2
騒乱から一夜が明けた朝。レオのもとに、研究所の災害対策ネットワークを通じて一本の指令が届いた。
飛霞自治州七彩市で発生した機能障害と混乱に対し、現地への人的支援が求められているという。
今回の被害は、一部がEMP波によるものと見られ、AIやロボティクスの稼働が著しく制限されており、自律機械による対応では限界があるとのことだった。
この時代において、労働は基本的にAIや機械が担っており、人間にその義務はない。だが、緊急事態に際しては、統一政府機関、国家機関、自治州に所属する公的機関の職員が、統一政府の指示により臨時支援任務に動員されることがある。
レオもまた、愛知湾岸中央水産研究所に勤務する研究者として、その対象に含まれていた。専門性そのものは問われず、要請は記録支援、被災地の巡回、住民への声かけといった、ごく基本的な対応が中心とされていた。
彼は即答した。断る理由も、断る余裕も、なかった。
封鎖された七彩市・都市部第一区の空は、不気味なまでに穏やかだった。
冬の陽は鈍い銀色を帯び、雲間から滲むように差し込んでいた。だが、その光には温もりの片鱗すらなく、冷ややかな均一性だけが都市を包み込んでいた。
前日に発生したトランス・ウルトラ・ヒューマンと機械人類の衝突は、小規模ながらも市街戦の様相を呈し、周辺住民を恐慌に陥れた。
戦闘自体は短時間で収束したが、避難時には交通網の一部が麻痺し、自律移動車両による事故や巻き添え被害も相次いだ。逃げ遅れた市民の中には、爆風によって吹き飛ばされ、命を落とした者もいる。
今、この区域は政府の命により封鎖され、トランス・ウルトラ・ヒューマンも機械人類も、市民も、すでに立ち入りを禁じられている。
住宅地に暮らしていたトランス・ウルトラ・ヒューマンと機械人類の住民たちも、昨夜のうちに市外へと避難したか、家屋の中に閉じこもって沈黙を守っている。
都市の広場には、もはや誰の姿もない。かつては情報の帯が踊り、群衆の声が響いていたその空間も、今はただ焼け焦げた道路の傷痕と、壊れた信号機、倒れた無人の自律車両が散乱するのみだった。
すべては、過ぎ去った数時間の衝撃の名残だった。音も熱も、すでに失われて久しい。だが、その「喪失」だけが、都市の記憶として風景に刻み込まれている。
今、ここに残っているのは——中立の立場にある統一政府の災害対応局職員、そしてインフラ管理局に所属する人道支援チームのみだった。
彼らは高性能な外骨格スーツを身にまとい、破損した配管や通信網の点検にあたりながら、緊張の色を隠さずに作業を続けている。
地面に膝をつき、半壊した下水管の状態をスキャンしていたひとりの職員が、ふと空を見上げた。冬の雲の向こうに覗く光が、まるで何かを問いかけてくるかのようだった。
路肩には、破壊された旧式アンドロイドの残骸が、静かに横たわっていた。制御を失い、主の命令を失い、それでもなお最期まで稼働しようとしていたその姿は、どこか人間の死よりも深い余韻を、都市の空気に沈ませていた。
周囲は、昨日の戦闘と混乱の名残が色濃く残っていた。アスファルトの上には血痕が点々と広がり、焼け焦げた金属と油の匂いが鼻を突いた。既に死体や重傷者のほとんどは、前夜のうちに救助隊によって搬送されたと聞いている。だが、それでも瓦礫の下から、時折呻き声が微かに聞こえてくることもある。政府の「死体処理プロトコル」により、市民の目に触れぬよう即時の回収が徹底されていたが、アンドロイドにその対象は含まれていない。
レオは一体のアンドロイドのもとに駆け寄り、メイン接続部を確認しながら音声復旧作業を開始した。顔の半分を焼かれたそれは、人間と見紛う精巧な顔立ちだったが、目は虚ろに宙を見つめたまま、応答はない。
彼がそのまま人間の負傷者にも手を差し伸べようとしたそのとき——、
「触るな!貴様、どっちの味方だ!」
怒声が飛んだ。見ると、地面に伏した若い現生人類の男が、血に濡れた腕を抱えながら、明らかに敵意をあらわにしていた。
「アンドロイドも助ける? 俺たちを見殺しにして、そいつらを優先する気か? あいつら、所詮は機械人類の一部だろ!」
続けて、別の作業員風の男が吐き捨てるように言った。
「どうせあれだろ、研究所の人間か何かだ。中立ヅラして、こっちにもあっちにもいい顔しやがって……! トランス・ウルトラ・ヒューマンの擁護者か? それとも、機械人類に魂売った裏切り者か?」
レオは何も言えなかった。彼はただ命を前に、できることをしたいと願っていただけだった。けれど、その「善意」はどちらからも拒まれた。
人間は、アンドロイドを。アンドロイドは、人間を。
互いに「敵の支援者」として彼を見ていた。




