第三節 変質する混合体 1
ノードとの接続から一週間以上経過した。
けれど、あの朝から始まった【異変】は、いまだ職場の空気を支配していた。
研究所の職員用通用口を抜け、まぶしいほどに白く照り返す無人の通路を進んでゆくと、目の前に滑らかに開く自動ドアが現れる。そこを通ってエントランスホールに入る瞬間、レオはいつも、冷たい視線が自分の背後に滲むのを感じていた。
自律移動ポッドから降りた時点で既に、異様な静けさが街と研究所の間に漂っている。
以前はもっと雑多で温かな気配があった――たとえば、早朝に出勤する技術スタッフたちの雑談、風除室の硝子越しに同僚に手を振っている職員の姿。今ではそれらすべてが、何か透明な壁に隔てられてしまったかのように遠い。
エントランスロビーには、今日も数機の警備ドローンが滑るように巡回していた。天井のレールに沿って無音で移動する機体は、赤いセンサーアイを光らせ、レオが通過するたびにわずかにその軌道を変える。
何かを「見張っている」のではない。ただ「監視している」。そう思わずにはいられないような不快な感覚が、足音のない廊下にまで追ってくるのだった。
職員の態度も、相変わらずだ。
あいさつの声には微細な動揺が混じり、笑顔は作られてはいても目が笑っていない。すれ違いざまに低く交わされる言葉は、明らかにレオとは無関係なふりを装っていながらも、どこかレオに向けられているような居心地の悪さがあった。
そんな空気の中で、レオの評価だけは急上昇していた。
それは皮肉にも、周囲との距離をさらに広げる結果を招いた。
まず、彼は仕事でミスを一切しなくなった。
計算は一発で合致し、解析プログラムのバグも即座に発見できる。作業効率も飛躍的に上昇し、会議での発言は常に的を射、同僚たちの議論を一瞬で整理し直す知的なシャープさを持ち始めていた。
結晶性知能においても、どんなに複雑な資料でも一度読めば構造ごと頭に入る。かといって単なる記憶力ではなく、それを応用して独自の発想や考察に発展させることができた。
機械補助があるトランス・ウルトラ・ヒューマンにはさすがに及ばなかったが、超人類と比較した場合、むしろレオの方が思考の柔軟性と跳躍力において優れているという意見すら出るほどだった。
その裏で、噂は流れていた。
地下のサーバー棟やエリュシオン・ノード第七地下層で発生した不正アクセスの件に、統一政府が目を光らせており、その中心にレオがいるのではないかという憶測。
統一政府がレオに対して何らかの制限をかけているのではないか――みなし超人類への差別的政策の一環として、彼を「管理」しているのではないか――そんなささやきが、一部の研究員の間で密かに交わされていた。
レオの能力が「異常な成長」を遂げている事実についても、努力と研鑽によるものと評価する声もあれば、どこかで不正に手を染めているのではと疑う者もいた。職場での評価は、まさに賛否両論に分かれていた。
そして、レオ自身はというと――ただひたすら、黙々と仕事に打ち込んでいた。
ノードとの邂逅以来、脳裏に焼き付いたまま離れない言葉たち。
――四つの人類種を超える存在を
――四つの人類種の懸け橋となれる存在を
――君は選ばれた
――人類の接合として
それらが何を意味するのか、自分が何を選び、何を捨てなければならないのか――その答えを、彼はまだ見出せずにいた。
迷いと、焦燥と、恐れと。自分の中でうごめくそれらを、彼はただひたすら研究という行為で覆い隠そうとしていた。




