第五節 水槽(アクアリウム)の中の異変 1
〈エリュシオン・ノード〉で事情聴取から数日が経過した。
湾岸中央水産研究所の第二研究ブロック・人工水生生命体部門所属の第六サブドーム。
そこは外洋の塩風が一切入り込まぬよう密閉された、全天候型の実験区画である。内部には、内海環境を人工的に再現した巨大水槽がいくつも並び、照度や潮流、水中音響に至るまでが厳密に管理されていた。
この区画で飼育されているのは、同研究所が遺伝子編集および遺伝子改造によって作り出した人工水生生命体たちだった。
たとえば、ペルシャ湾やアラビア海などの温暖な海域に生息する魚類に、北大西洋や北極海に近い冷水域の魚類の遺伝子を組み込むことで、低水温でも生息可能とした種。
あるいは、白身魚を赤身魚へと改造した種、毒素を取り除いたフグ、シビマグロのような巨体を持つイワシ、さらにはタコとイカの特徴を併せ持った“タコイカ”と呼ばれる混合型種など――。
多種多様な生物たちが、静かに水槽の中を泳いでいた。
レオはその一角に設置されたバイオモニタの前に、一人佇んでいた。
この時代、AIと機械、ロボットが理論の構築から実験、実験補助、結果の分析、論文執筆に至るまでを担うのが当たり前となっている。
そのような環境の中で、あえて人間を研究職として雇用するということは、AI群の活動を意図的に制限してまでも人間に役割を与えているということであり、それゆえに――研究員一人ひとりが複数の研究を掛け持つのは、ごく自然なこととされていた。
もっとも、人間が行う研究活動の多くもまた、AIや機械、ロボットによる高度な補助と支援を前提としていた。
日野ひかりのように、人間と機械の関係性を円滑にし、両者の連動をより合理的・効率的に機能させるためのアシスタント業務に専従する専門職が常駐しているのも、この時代の研究施設ならではの特徴である。
そのような仕組みが整っているからこそ、レオのような研究者は最小限の労力で、最大限の成果を引き出す複数研究の並行遂行を可能にしていた。
その日は、計器の示す数値が、どこかおかしかった。
水温が微かに高い。酸素飽和度がわずかに変動している。しかもそれは、通常の環境要因では説明できない周期性をもっていた。
それは、通常の環境要因では説明できない周期性をもっていた。
「……誤差、にしては規則的すぎるな」
レオは端末にコマンドを打ち込み、過去三日分のデータを統合解析にかけた。すると、複数の水槽で“類似したゆらぎ”が発生しており、しかもそれらは、特定の時間帯に集中していることが判明した。
まるで、外部からの量子波干渉か神経伝導模倣波のように、何かが生体反応に同調しているかのように。
レオの背中に、汗とも冷気ともつかない感覚が走った。研究設備は、通常の電磁波だけでなく広帯域共鳴干渉にも対応した三重の遮蔽が施されている。それを超えて影響を与えるとすれば、相当に高度な技術か、あるいは……内側に何かが仕込まれているということになる。
「ケイさん。すみません、今、お時間いいですか?」
レオは内部連絡用コンソールを叩き、指導担当であるケイ・イノセに連絡を取った。すぐに返答があり、モニタ越しに彼の顔が映る。
「どうした? 表情が硬いが」
「ここの水槽群で異常な数値が出ています。普通の誤差範囲なら報告しませんが、ちょっとパターンが……妙です。第六サブドームの第三水槽から第八水槽にかけて、ほぼ同時に、同じ方向性の変化が出ているんです」
「ふむ。それはいつから?」
「昨日の深夜帯、そして一昨日にも同様の傾向が確認できました。いずれも――夜中の三時を中心に前後十五分間だけです」
ケイの表情が静かに引き締まった。その瞳に、研究者としての緊張が浮かぶ。
「確認してみる。端末のログも見せてくれ」
レオがデータを転送すると、数秒後に短く唸るような声が返ってきた。
「これは……生態変動の兆候とは思えない。たしかに、何らかの干渉を受けている可能性があるな。セキュリティログと電磁環境ログ、全て第三層AIに照会をかける」
「はい、お願いします」




