第四節 沈黙の言語 6
事情聴取を終えたレオは、〈エリュシオン・ノード〉の薄暗いセキュリティゲートを通過し、冬の冷気を頬に感じながら地上へ出た。空はくすんだ鉛色で、時折小雪がちらついていた。研究所へ戻るにはまだ時間がある。少し足を伸ばし、あの場所へ寄ってから戻ろう。そう考えて彼は足をモノレールの乗り場へと向けた。
無人シャトルに揺られながら、彼の思考は、先ほどの情報接触の余韻に満ちていた。ミューズの“呼びかけ”――あれは確かに偶然ではなかった。だが、それを誰かに話してよいのか、判断はまだつかなかった。
降り立ったのは、市の外縁、第六階層住居境界区画。吹きつける風は冷たく、彼のコートの裾を激しく揺らした。建物群はどれも古び、広告パネルのほとんどがエラー表示を出したまま点滅している。人の姿もまばらだったが、それでもこの街には、言葉にならない連帯感があった。「混ざり者たちの街」――そう呼ばれるこの場所に、彼はある種の安堵を感じていた。
細い路地を抜け、淡い灯りのもれる店が視界に入る。《オアシス》。喧騒から切り離されたこの飲食店は、今日も変わらず、沈黙と共に客を迎えていた。
控えめなベルの音と共に、レオは中へ入った。コートの雪を払い、帽子を取って店内を見回した瞬間、思わず足が止まった。
「……ミナト?」
そこにいたのは、見間違えるはずもない人物――篁ミナトだった。漆黒に近い灰のジャケットを羽織り、窓際の席に一人、静かに座っていた。肩までの髪がゆるやかに揺れ、薄い唇がフォークを止めると同時にわずかに開いた。彼女の眼差しがレオの存在に気づき、驚きと、それに混じるわずかな戸惑いがその顔に浮かんだ。
「……あなたこそ、なんでここに?」
レオは小さく息を吐き、席の傍まで歩み寄った。
「こっちの台詞だよ。君がここにいるなんて思わなかった」
ミナトは苦笑して、手元のトレイを脇へ寄せた。
「まあ……この辺には、時々来るの。あまり人には言ってないけど」
「こんなところで何を?」
レオの問いに、ミナトは少し目を伏せて言った。
「……自分のルーツを、考えるには、ちょうどいい場所だから」
しばし沈黙が落ちた。店内の静けさが二人を包み、言葉は慎重に探されていく。
やがて、ミナトが口を開いた。
「私ね……実は、自分が何者か、はっきりとは分かってないの」
レオは眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「出生記録が、ないの。登録上は現生人類ってことになってる。でも、本当の両親が誰なのかも、どこで生まれたのかも、記録は残ってなかった。あるいは、最初からなかったのかも」
彼女は静かに語ったが、その声にはどこか脆い震えがあった。
「遺伝子検査を受けたの。そしたら、一部に超人類に見られる編集痕が見つかって……でも、超人類の基準には届かなかった。つまり、どの種にも明確には属さない。私は“境界人”だって言われた」
レオは黙って彼女を見つめた。その言葉の一つひとつが、自分自身の来歴と響き合い、胸の奥に沈んでいくのを感じていた。
「あなたも、そうよね。混ざってる。アンドロイドの父と、現生人類の母。遺伝子の中には超人類の構造が組み込まれていて、機械人類に似た反応も示す……あなたは、四種すべてにまたがる存在」
ミナトの視線が、まっすぐにレオを捉えた。
「だから、最初から分かってたの。あなたに親近感がある理由。私たちは同じ“境界”に立ってる。でも、あなたは違うの。私みたいに、自分の“欠けた部分”を嘆いているだけじゃない。あなたは……たぶん、“架け橋”になれる人なんだと思った」
その言葉を受けたとき、レオの中で何かが静かにほぐれていくのを感じた。自分だけではない。沈黙の街の中で、同じ境界を彷徨いながらも、彼を見つけ、期待してくれている存在がいた。




