終戦後の混乱と復興 3
――愛知湾岸第七管理区。
ボランティア活動中のレオは、汚れの目立つ作業着姿で、静かにその地表を歩いていた。
彼の足元に広がるのは、かつてトランス・ウルトラ・ヒューマンと機械人類の合同会議場として建設された統合研究基地〈オリジン・クレイドル〉の残骸である。
かつての記憶の中にあった円形の中枢棟は、今や片側が吹き飛び、露出した鋼材が太陽の光に鈍く光っていた。
「……静かだね。ここって前まで、人が沢山行き交ってたところなのに……」
彼の隣で呟いたのは、ミナトだった。彼女もボランティア活動中で、同じく汚れた作業着を着ている。指先で、焦げ付いた壁面をそっとなぞった。
「短い間に、余りにも多くの情報が入ってきたから、頭では理解できていても、感覚が追いついてくれない」
「俺も同じだよ。まるで今日までの出来事が夢の中での出来事みたいだ。信じられないような、信じたくないような。でも、現実逃避は許されないんだよな」
レオの声には、かすかな疲労がにじんでいた。
ノウス・コアから調停者に選出された時の記憶が、ふいに彼の意識をよぎる。
ミナトがレオの顔を覗き込んでいた。
「……何を考えてたの?」
「ノウス・コアの言葉を、思い出していた」
「あの時は本当に、寝ぼけてたんだと思った」
ミナトは笑いながらそう言ったが、その目にはかすかに緊張の色があった。
調停者〈エクエス〉――それは、単なる称号ではない。
レオはすでに、全人類種の「新たな未来の舵取り役」として、不可逆の場所に立っていた。
その時、遠方から一機の通信ドローンが低く滑空してきた。
標準化された中立チャンネルからの信号が、静かな風に混じって耳に届く。
「こちらノウス・コア管理下作業群第三班。岐阜地方第五管理区前線部に、復旧支援物資を搬送中。現地で調整可能な方、連携の確認をお願いします」
レオは短く息を吐き、小さく頷いて応答した。
「こちら、愛知湾岸第七管理区、地区支援班大川戸レオ。了解。人手が足りていない山間部の支援班との連携を最優先に。被害評価と医療支援は、同時に進めてほしい。必要があれば、僕の方でも現場調整に入る」
通信が切れると、傍らでミナトがノウス・コアの口真似をして言った。
「全ての存在を調停する調停者様が岐阜地方第五管理区に指示をお出しになられた」
「からかうのはよしてくれ」
その言葉に、ミナトはわずかに笑みを浮かべ、頷いた。
瓦礫の向こうから、太陽の姿が見えていた。
その光は冷たく、けれど澄んでいて、まるでこの世界に訪れつつある新しい時代の予兆を、静かに告げているかのようだった。
風が吹いた。ミナトは黒いジャケットの襟を立て、きりっとした表情を浮かべた。その姿は、彼女の内面の緊張と覚悟を映していた。
「伝え忘れていたけど、さっき、統一政府本部からの通達が届いたよ。『協定』のための円卓会議を、三日後に開催するって」
「場所は?」
「ニュージュネーヴの第一地下構造体。かつての中立記念都市。……まだ立ってるみたいだよ。奇跡的にね」
レオは小さく息を吐き、視線を再び都市の街並みへと戻した。
「本当に“協定”が結べるのかな。あれほどまでに対立した存在たちが」
「……わからない。でも、それでも、あなたが前に立つことを、みんなが望んでる」
「前に立つ……か」
その言葉が胸に落ちるたび、冷たいものが体の奥に沈んでいく。
ノウス・コアが最終戦後に告げた宣言――「あなたを調停者と定義します」。
それは、単なる称号でも肩書きでもなかった。
何を求められているのか、その全容を、彼はまだ掴みきれてはいない。
だが、立ち止まることはできなかった。
これから迎える円卓の議場で、彼は、人類の未来と、種を越えた存在たちの“共存”の形を定めなければならないのだから。
レオはただ、その始まりへとつなぐ者として――歩みを進めるしかない。




