終戦後の混乱と復興 2
――飛霞自治州。
停戦後、統一政府は即座に機能を回復した。しかし、飛霞自治州においては、その道は平坦ではなかった。
長きに渡って州政府は空白となり、州警察も、州軍も、機能を喪失していた。
かわって、ノー・エッジと地域住民たちが手を取り合い、事実上の自治組織を築き上げ、瓦礫の街を支え続けていたのだった。
地方公共団体の職員や警察官、軍人の中には、統一政府が州を完全に見捨てたせいで、州外に避難した者も少なくなかった。
一方で、残された住民たちは、ノー・エッジのメンバーたちの手を借りつつも、自分にできる事は最大限、自分で行い、日々を生き抜き、互いに支え合いながら、どうにか秩序を保っていた。
そのため、戦後になって戻ってきた公務員や治安要員たちに対して、住民側には「今さら何を」という反発と不信感が渦巻いていた。
こうした事情から、ノー・エッジと住民らが運営していた非公式な自治組織は、自然な形で市町村の役所、ひいては州政府そのものへと姿を変えた。
ただし、軍と警察に関しては、専門的な知識と訓練が必要な職務でもあり、完全な素人には荷が重かった。
そのため、警察官や軍人については復職希望者を中心に再配置され、体制が再構築されることになった。
もっとも、戦時中に警察機能を担っていたノー・エッジのメンバーや住民の中には、実地経験を買われて正式に警察官として採用された者もいた。
その多くは、町のことをよく知り、住民からの信頼も厚い人物だった。
エイジは、当初こそ固辞したものの、地域の人々の強い後押しに抗いきれず、最終的には州知事の座についた。
――正確に言えば、「ほぼ無理矢理に担がれた」といったほうが正しいだろう。
飛霞自治州は、深刻な武装暴動が頻発した地域を抱えていた。
特に人類種間の対立が色濃く残る地域では、一触即発の緊張状態が続き、とてもではないが、かつての州知事が復職できるような空気ではなかった。
エイジのようにずっと最前線にいて、住民と苦楽を共にしてきた人物でなければ、州の再統治は不可能だったのである。
本来であれば、共生の象徴たる存在――レオがこの役割を担うのが筋だった。
だが、彼自身は政治家の仕事を嫌い、また調停役として混ざり者代表として円卓会議に出席する立場にあった。
それらと知事職を兼ねるのは物理的にも心理的にも無理があり、お鉢は必然的にエイジへと回った。
なお、レオとミナトの本来の職は、研究都市エリュシオン・ノードに所在する愛知湾岸中央水産研究所の研究員である。
職制上は州政府職員に準ずるみなし公務員という扱いだった。
とはいえ、戦火により街のかなりが廃墟と化し、現場では今もなお、復旧作業に多くの公務員とボランティアが総出で従事していた。
レオとミナトもまた、その一員として、瓦礫を片づけ、汗をぬぐいながら働いていた。
レオの父、シリウスは退院し、母真凛と共に飛霞自治州に帰って来ていた。
戦火を免れた居住複合区域〈スカイ・ステイブル〉にあるマンションで、再び三人で暮らしている。
 




