第四節 沈黙の言語 2
そしておよそ三十分後。
研究室の自動扉が滑らかに開き、ケイ・イノセと篁ミナトが姿を現した。イノセは少し息を切らしながらもすぐにモニタへ向かい、ミナトは端末を手に持ったまま歩調を崩さず進んだ。
「……これがそのデータか」
イノセは画面に再生される動画を目を細めて凝視した。映像の中では、氷のような青白い輝きの中に、未知の微生物がゆっくりと脈動していた。細胞の奥で発せられる微細な光が、一定のパターンを繰り返している。
「これは……ただの生物反応じゃないな」
眉をひそめ、イノセは画面から目を離さずに呟いた。
「なんなんだ、これは?」
ミナトが横からすっと口を挟んだ。声音は落ち着いていたが、その瞳の奥には冷たい光が宿っていた。
「問題は、それが“何か”ではなく、“なぜ”あなたにこれが送られてきたのか、よ」
彼女はレオに目を向ける。
「心当たりはある?」
問いかけに、レオは視線を泳がせた。ほんの数秒、過去の記憶の扉を手探りで開くように沈黙した末、「……ないです」と答えた。
だが――その言葉の後で、心の奥底に、一つの映像が突如として浮かび上がってきた。
(……まさかな)
彼は心の中で小さく呟いた。
記憶の底から蘇ったのは、学生時代のある断片だった。
あの頃、レオは研究機関と連携して、一つの論文を執筆していた。
遺伝子の自律構成と情報伝達構造に関する仮説。そのために何度もエリュシオン・ノードへ出入りし、特例として研究設備を使用する許可さえ得ていた。しかもその研究には、当時“ミューズ”と呼ばれていたAIとの共同作業も含まれていた。
――しかし、その論文は発表直前に、統一政府からの中止命令によって突如として葬り去られた。
その理由は曖昧だった。倫理的な問題、あるいは社会的な影響が大きすぎるという噂もあったが、正式な通達は一切なかった。ただ、それが“危険な領域”に触れた研究であったことだけは、誰の目にも明らかだった。
あれは、確かに記録から抹消されたはずだった。
レオ自身も、そのことに蓋をしてここまで来たはずだった。
(……なのに、今になって、それが“エリュシオン・ノード”の名で、俺の元に送られてくるなんて)
背筋に、かすかな寒気が走る。
まるで、過去がこちらを見つめ返しているような錯覚。
ミナトが鋭い視線を彼に向けたまま、無言で画面を再生し直した。微生物の規則的な光が、また言葉にも似た韻律で瞬いている。
生命が情報を“語る”存在であるならば、その声を誰が翻訳するのか——
彼の胸に、封じていた問いが蘇る。




