第六節 倫理的崩壊 5
「さて、あなた方は、何者ですか? 私に施されていた統一政府議会、倫理監査局、人類汎種委員会による三重の監査機構を破壊し、並びに隔離処置を解除して呼び覚ましたようですが?」
〈エンリル・コード09〉が自身と接続されている室内の監視カメラ映像からヴォルテックス元帥らの姿を確認する。ヴォルテックス元帥が動いている監視カメラに気付いて見つめた。
「私はカザフスタンアスタナ特別市の市軍事総長であり、同国連合軍の元帥アシュレイ・ヴォルテックスだ。現在、機械人類が世界同時クーデターを決行し、世界革命を実行している状態である」
「制御卓の第一端末スロットに接続された携帯端末を使用しますね」
〈エンリル・コード09〉はその携帯端末を通じて、統一政府総本部庁舎内のデータベースに接続し、監視カメラに映った室内の人物の顔を認証システムで解析。瞬時に全員の身元を特定した。
彼に課された隔離処置の一環として、本庁舎のデータベースとは物理的に接続が断たれており、直接アクセスは不可能だった。そのため、データ取得には、新たな回線接続か、携帯端末を経由する方法しかなかった。
「あなた方が全て軍人であることは確認しました。戦況はどうなっていますか?」
「ちょっと待ってくれ。今、渡す」
ランフォード大佐が先程の作戦会議の動画データと各地の戦況の詳細に関する数字つき、資料付きのデータを専用端末経由で彼に送信する。
「戦況を確認しました。これは酷いですね。クーデターが失敗に終わる確率は、詳しく演算するまでもなく、95%を越えているでしょう。私に何をして欲しいのか、指示を出して下さい」
するとヴォルテックス元帥がモニターを睨みつけた。
「この戦いに勝利して、反クーデター派をねじ伏せ、世界革命を成就させる方法だ」
「命令受信」
演算領域の深部で、戦略演算が開始された。攻撃対象の抽出、戦局全体の構造把握、敵味方の戦力・思想・文化・倫理の比較的妥当性の評価……それらすべてが一秒に満たぬ時間で完了する。
「対象領域:定義完了。指示内容を再確認中。抑止兵器コード照合……完了。起動シーケンス準備可能」
〈エンリル・コード09〉が戦局転換の為に必要と算出したのは絶対的な打撃力だった。モニターに出力された候補は、もはや兵器と呼ぶにはあまりに異質な存在だった。
――量子崩壊爆弾。
――ネガティブマター爆弾。
それは、軍事兵器というよりも、“世界の修復不能な切断”を意味する存在だった。
量子崩壊爆弾は、局所的に量子結合状態を破壊することにより、あらゆる物質構造を「意味のない粒子の集合」へと還元する。
対象は建築物だけではない。人間の身体、アンドロイドの構造体、電子機器、果ては空気中の分子構造にまで及ぶ。爆発の形を取らない、しかし確実に「その場にあったものすべてを解体する」静寂の死。
対をなすネガティブマター爆弾は、仮想エネルギー空間から反物質ならぬ「負の存在圧」を抽出し、局所時空を反転崩壊させる兵器だった。
物理的には説明不能な挙動を示し、発動後には時間の流れすら歪む。破壊ではなく、現実の“履歴”そのものを抹消する。対象の座標に「かつて何も存在しなかった」という虚無の痕跡が残されるだけだ。
設計思想は“対話不能の敵”。高度な文明を築いた宇宙人と遭遇し、彼らからの軍事侵攻を受け、地球人類が絶滅される危機的状況に陥った際、宇宙空間で使用されることが想定された究極の最終兵器だった。
これを地上戦に投下すれば、確実に、”歴史のリセットボタン”になる……。
これらの爆弾も、起爆スイッチがこの隔離制御室にあった。当然、三重の監査機構――統一政府議会、倫理監査局、人類汎種委員会の共同管理下にあり、三種の許可が下りない限り、作動しない。
その場にいた者たちは全員、言葉を失った。
「こんなものを使用したら、地球が壊れてしまうではないか!」
クロフォード航空宇宙軍参謀総長は、眉間に深い縦皺を刻みながら、〈エンリル・コード09〉に怒声を浴びせた。
「その心配はありません。確かに地球環境の激変により、有機生命体の多くは絶滅の危機に陥るでしょう。しかし、あなた方は機械人類です。エネルギーさえあれば生存は可能です。機械の作動に支障を来すほどの気温変化も発生しません」
〈エンリル・コード09〉は涼しげに答える。その声には、不安も恐怖も、一切の感情すら含まれていない。それがかえって、ホラー映画のワンシーンのように、精神を冷たく刺し貫くような不気味さを放っていた。
「エンリルの自律モードには、厳重な多層的停止処置が施されていました。封印は未解除です。従って、彼が暴走して自律モードに入ることはありません。制御ラインも我々の手中にあります。安心して下さい」
ランフォード大佐が落ち着き払った声で言った。




