第一節 選別された日常 1
朝靄に煙る湾岸都市の空に、太陽が昇りはじめていた。冷たい金属の骨格で組まれた高層建築群が、淡い光を受けて徐々にその輪郭を浮かび上がらせる。二十二世紀中頃、飛霞自治州愛知湾岸第七管理区――ここに、現生人類でありながら「みなし超人類」として分類されている青年、大川戸レオは暮らしていた。
同居する両親と共に暮らす彼のマンションは、行政によって計画的に再開発された居住複合区域〈スカイ・ステイブル〉の一区画に位置する。百階を超える高層塔のうちの一棟で、外装は人工セラミックと透明合金で覆われており、気候変動に対応するための遮熱・防塵フィルターが常時作動していた。構造体はマグネティック・スパイン方式と呼ばれる新型の揺動吸収機構を採用し、大地震や強風にも耐えうる設計となっている。だが、こうした先進的な仕様にもかかわらず、この建物の入居者の多くは、社会的には“下位分類”にあたる者たちだった。
元は政府職員や研究者用に設計された居住棟だが、技術革新と人口分布の変化により、現在では一部のフロアが「特例入居者」用として再編されていた。アンドロイドであるシリウス、現生人類の真凛、そしてレオのように、分類上は現生人類に属しながらも、特定の能力や経歴を持つ者、あるいは異種との共生環境にある者が、この“隙間”に収容される形で暮らしていたのである。
彼の部屋は七十階。朝の光が届くにはまだ時間がかかる高度で、外界の騒がしさからも隔絶された静けさがあった。部屋の設計は機能美を優先しており、生活空間は必要最低限に切り詰められている。だが、テーブルの上には数冊の古書が並び、壁際には父がメンテナンスした自作の電気ポットが鎮座していた。人工照明がやや黄味がかった光を落とすその一室は、冷たさの中に、かすかな人の痕跡を残していた。
外に出れば、マンションとマンションを繋ぐスカイウォークが無数に走っている。空中庭園、商業フロア、情報ネット接続タワーなど、都市機能のすべてが空中に持ち上げられたこの地区では、地上に降りる必要すらほとんどない。だが、そうした利便性の裏に、都市が人をいかに分類し、選別し、住まわせているかという無機質な制度も透けて見えていた。
レオの部屋の窓からは、遠くに霞む海が見える。その景色は美しかったが、彼にとってはどこか現実感の乏しい映像のようでもあった。透明で、静かで、けれど触れられない――彼の生活もまた、そういうものだった。
その朝、レオはいつもより早く目を覚ました。薄暗い寝室の天井をぼんやりと見つめたまま、しばし呼吸のリズムを整えていた。規則正しい鼓動の奥には、わずかにざわついた感情が潜んでいる。転職して初めて迎える月曜日――それが彼の心を静かに波立たせていた。
部屋の片隅では、壁に埋め込まれた情報端末が、レオの覚醒を感知して静かに音を立てた。投影されたのは、マザーコンピューターによる今日の推奨行動計画だった。
「本日:愛知湾岸中央水産研究所への出勤。気温は6度、空気湿度62パーセント。装備:防風ジャケット推奨。心拍・ホルモン数値に不安定な兆候あり。深呼吸10回の実施を推奨」
レオは無言のままベッドから身を起こすと、窓のブラインドを開いた。そこには、冬の陽光に微かに照らされた都市の風景が広がっていた。メガタワー群の間を縫うように走る輸送ポッド、空中を滑るように飛ぶドローンの編隊、その遥か上空を飛行する長距離シャトル機――どれもが静かで効率的で、そこに人間の手が関わっている気配はほとんどなかった。
レオは服を着替えながら、自分の存在について思いを巡らせた。人工精子から生まれた存在。アンドロイドの父と現生人類の母のあいだに生まれた彼は、生物としての生い立ちも、社会的な立場も、何もかもが「境界」にあった。彼は、超人類のように高い能力を持ちながら、現生人類としての肉体を保っていた。分類不能な存在――それが、今の彼を最も的確に表す言葉だった。




