第四節 全面戦争――衝突と混乱 2
時間が巻き戻る――あの混乱の一夜へ。
灰色の雲が低く垂れ込め、風のざらついた音が吹き抜ける中、レオと〈ノー・エッジ〉の仲間たちは、避難シェルターに住民たちを誘導していた。
照明の灯るシェルターの内部は、怯えた表情と怒号、すすり泣きの交じる混沌に包まれていた。ざわつく群衆の中、一人の青年の声が鋭く空気を切り裂いた。
「こいつ、機械人間だ!」
その叫びに、場の空気が凍りついたように静まりかえる。全員の視線が、叫んだ青年と、指差された一人の中年男性に集中した。彼は落ち着いた服装に身を包み、頬には精巧な人工皮膚が貼られていた。
その男が、困惑した表情で口を開いた。
「待ってくれ。確かに、私は機械人類だ……だが、この地区の住民だ。ほかの皆と同じように、ただ避難してきただけだ」
青年は唇を噛み、叫んだ。
「機械人間なんか信用できるか! さっさとここから出て行け!」
声の中に、純粋な恐れと敵意が混じっていた。その刃は男の胸に突き刺さり、同時に周囲の避難民たちの視線も、冷ややかに変わっていく。
その時、群衆の中から一人の中年女性が進み出た。彼女は震える声で言った。
「彼は、私の近所の人よ。確かに機械人類になったけれど……昔、交通事故で身体を失ったの。そうしなければ生きられなかったのよ」
「そんなの関係ないだろ!」
青年は即座に返す。
「今、軍事クーデターを起こして暴れてるのは機械人類だ。こいつがスパイじゃないって、どうやって保証するんだよ!」
群衆の空気が一変する。さっきまで同情していたように見えた人々の目が、疑念と恐怖の色を帯びはじめる。
レオが一歩前へと出た。黒髪に風がかかり、光の下で真剣な眼差しが鋭くきらめいた。
「俺がもし機械人類だったら、そんな露骨なやり方はしない。超人類かトランス・ウルトラ・ヒューマンの協力者を使う。信用を得たいなら、もっと巧妙な手段を選ぶ」
だが、年配の女性の一人が、低くつぶやいた。
「でも……こんな状況で、信用しろと言われても……」
青年が声を荒げた。
「せめて、スパイじゃないって証明できるまで、身柄くらい拘束すべきだろ!」
「そんなことはできない」
レオはきっぱりと言った。
「もし彼が無実だったら、誰が責任を取るんだ?」
沈黙が落ちる中、中年の機械人類の男が一歩前に出た。そして、静かに言った。
「それで皆さんが安心できるのなら、構いません。手錠でも、ロープでも……私の両手足を縛ってください」
その言葉に、思いがけぬ展開が起きた。十数名の男女が、次々に名乗り出る。
「私も機械人間です」
「私も……」
レオは一瞬、言葉を失った。だが、即座に判断を下す。
「一時的に全員の手首を縛ってくれ。ただし、彼らに危害を加えることは絶対にしてはならない。あくまで一時的な処置だ」
避難民たちがロープを取り出し、申し出た者たちの手首を慎重に縛り始めた。埃にまみれた空気の中、誰の息もわずかに荒く、かすかな緊張が空間を支配していた。
その隅で、レオたち〈ノー・エッジ〉のメンバーが集まり、低く言葉を交わしていた。
「機械人類だって、EMP兵器で反撃されることを恐れてるはずだ」
レオが言った。焦げ茶の瞳が鋭く光り、掌をコートのポケットに押し込む。
「そうそう無茶な行動には出られないだろう」
肩までの黒髪を後ろで束ねた若いメンバーが、レオの言葉に食い下がった。頬には擦り傷、軍用ブーツの紐は緩んだままだった。
「でも、大川戸さん、このままじゃ防戦一方です。あいつらは無限に武器や弾薬を手に入れられる。俺たちが生活必需品を確保できても、兵糧攻めされたら終わりですよ」
レオは一度口を閉ざし、肩を落とすようにして深く頷いた。
「……わかってる。だが、戦って勝っても禍根が残る。どうやったら戦争を終わらせられるか、それを考えないといけない……」
その時だった。
ロープで手首を縛られた一人の男が、静かに、しかしはっきりと口を開いた。短髪に切り揃えられた髪。精悍な輪郭の奥に光る瞳は冷徹でありながら理知的だった。軍人らしい姿勢のまま、少し顎を上げる。
「方法はある。データを盗めばいい」
レオと〈ノー・エッジ〉のメンバー全員が、一斉にその男へ視線を向けた。数秒の沈黙が流れたあと、レオが小さく問いかける。
「……詳しく聞かせてくれませんか?」
男は頷き、淡々と語り出す。
「私は州陸軍の元軍人だ。五年前まで駐屯地で勤めていた。飛霞自治州には使われなくなった古い軍用衛星が結構あって、そこから情報が取得できる。そこ経由で州軍の通信回線に侵入し、ウイルスを仕込んで兵器を狂わせることもできる」
その提案に、先程の青年が声を上げた。顔を紅潮させ、拳を握りしめながら叫ぶ。
「でたらめだ! ロープを外して欲しくて、適当なことを言ってるだけだ!」
その瞬間、奥の通路から重々しい足音が響いてきた。視線の先から現れたのは、屈強な肉体を持つ一人の男だった。
身長は優に二メートルを超え、まるで戦車のように広い肩と太い首。全身を覆う戦闘用スーツの一部には、過去の傷を示す溶接痕が走っていた。スキンヘッドの頭皮は無反射のように黒光りし、真っ直ぐな視線が辺りを射抜いた。
「その人が言っているのは事実だ」
低く、落ち着いた声が響く。
「私も三年前まで同じ駐屯地にいた。……確か、三杉ケイン大尉だったはずだ」
三杉と呼ばれた男が頷いた。その仕草は控えめでありながら、どこか誇りを含んでいた。
「そうです。元州陸軍春山駐屯地偵察隊本部中隊所属、三杉ケインです。あなたは?」
「小池ヨウザン。元通信中隊所属、除隊時は曹長でした」
場に再び静寂が落ちた。レオはじっと二人の顔を見比べ、ゆっくりと呟いた。
「……やってみる価値はあるな」
こうして、避難シェルター内に設置された簡易通信室で、三杉を指揮官とし、小池ら元軍人と民間の技術者たちによる極秘作戦が始まった。
数人は手早く身支度を整え、外の市街へと向かい、必要となる機材――旧型の干渉アンテナ、放電防止ケース、未使用のデータケーブル、そして解析端末を取って戻ってきた。物資が次々と倉庫へと集められていく。
作業は困難を極めた。通信設備は老朽化し、再起動するたびに異常音を発し、接続中に熱暴走することもあった。それでも、三杉の沈着な指示と、小池の技術的な判断によって、チームは徐々に成果を上げていった。




