第三節 決行されたクーデター 2
それは、一つの声から始まった。レオの言葉が、暗闇に微かな光を灯すように、世界中へと行き渡った瞬間、人々はただ戸惑い、そして立ち上がった。
「どうか、避難シェルターへ、安全な場所へ」──その悲痛な呼びかけに応じ、各地で市民たちは街を離れ、地下へ、避難シェルターへと向かい始める。母親は子を抱き、老父は杖を手に、若者たちは互いを支え合いながら、列をなし、暗い通路を進んだ。
生身の肉体を持った人類種の命を守るために、インフラ施設と食料製造工場など、生活を送る上で必要不可欠となる施設、工場の自衛を目的として、命懸けで向かった元軍人たち、専門家たちもいた。
その動きとほぼ同時に、世界は崩壊の段取りを踏み出していた。
各国で、機械人類が一斉に蜂起した。彼らは事前に周到な準備を整えており、内通者を通じて軍の通信網を把握、AI制御による指令系統を乗っ取り、主要な軍事施設、発電所群、空港、そしてインフラ基幹施設を瞬時に制圧した。
各国の軍事システムに組み込まれていた高度自律兵器群は、緊急信号に応じて即座に優先命令系統を“特定の政府機関”から“蜂起した機械人類の統一指令”へと切り替えた。
その結果、国防中枢の制御権は一瞬で塗り替えられ、抵抗の意思を示した司令官や将校、あるいは忠誠を誓い続けた超人類やトランス・ウルトラ・ヒューマンの部隊は、味方だったはずの兵器群に囲まれ、各地で制圧された。
忠誠心ではなく、命令系統という“構造”そのものが、すでに侵されていたのだ。
同時に、衛星回線が機械人類の暗号ネットワークに掌握され、既存の通信・監視システムは沈黙。統一政府中枢への全回線は切断され、国際連絡網は無音と化した。
世界連邦の連邦構造の盲点が、ここに露呈した。
各国が主権を持つというこの世界の構造は、平時には緩やかな連携を可能にしていたが、有事においては即応的な中央命令の発動を困難にしていた。
ひとたび一国でも軍と行政が機械人類に掌握されれば、隣国は干渉をためらい、その隙をついてクーデターは連鎖し、感染するように拡大していった。
各地で発せられた避難命令も、通信遮断により断絶され、人々は次第に情報を失い、恐怖の中で彷徨うようになった。
都市は混乱に包まれ、交通機関は停止し、略奪と暴動が起こり、秩序は崩壊した。
統一政府の中枢機構は、一夜にしてその機能を喪失した。
国家という単位は、通信網の断絶と指令系統の麻痺により、音を立てて瓦解しつつあった。
かろうじて稼働を続ける局地司令部が、断続的に各地へ指令を発し、軍や警察の残存部隊が対応に奔走するなか、戦場は次第に――単純な種族の対立ではなく、信念と忠誠の衝突へと変貌していった。
機械人類のすべてがクーデターに与していたわけではない。人間の精神を継承し、自らを人類の延長と信じる彼らの一部は、仲間と銃を交えることを拒み、あるいは避難民を守るために独自に行動を開始していた。
一方で、軍内部でも、超人類やトランス・ウルトラ・ヒューマンの中から離反が相次ぎ、部隊は縦にも横にも分断され、事実上の内戦状態に突入していく。
だがそれでも、クーデターに賛同する機械人類の主力部隊は、事前に練り上げた作戦計画に従い、各拠点で掃討作戦を実行。都市部の拠点は次々と制圧され、指揮系統を喪失した部隊は孤立し、無力化されていった。
レオの言葉が「始まりの鐘」であったことを、誰もが理解するには、長い時間はかからなかった。
M-Vaultでじかにレオの言葉を聞いた4Nexusのメンバーたちは発言を信じたが、又聞きとなった人々の多くは、その内容を信じなかった。
その為、レオの呼びかけは意味をなさず、メンバー以外の人々を発生前に避難させることに失敗し、インフラ施設と食料製造工場など、生活を送る上で必要不可欠となる箇所の防衛も上手く行かなかった。
これは、人類史上最大の敗北であり、同時に、分断されたすべての“意志ある者”たちが、生存と共存の可能性を模索する、新たな戦いの始まりでもあった。




