第十一節 カミーユの行方と“沈黙の異物” 3
彼らは救出されたが、建物の中で、ただ一室、異様なまでに厳重な警備が施された扉が存在していた。
扉は鉛とセラミック複合材で構成され、爆薬にも耐えうる強度があった。
電子ロックは多重認証で、施設長の承認なしには開かない設計となっていた。
しかし、協力者の一人であった研究主任が、静かに端末を操作し、扉は音もなく開かれた。
その部屋は、まるで“この世から隔絶された時間”の中に存在しているかのようだった。
白光灯が淡く照らす無機質な空間。
壁も床も、冷たく無言の素材に包まれていた。
その中央に、細いベッドの上で、褐色の肌を持つ少女が、静かに横たわっていた。
煤けた黒髪は無造作に広がり、彼女は眠っていた。
腕には点滴と神経接続装置、胸元には生命維持システムのモニターが取り付けられている。
少女の周囲には無数のコードとチューブが張り巡らされていた。
まるで、彼女の肉体そのものが何か巨大な意志に繋がれているようであった。
グレゴールは周囲の職員たちに問いただした。
「この子は誰だ。なぜここに閉じ込められている」
だが、誰も知らなかった。
いや、知らないふりをしているのではなく、真に誰も、その素性を理解していなかったのだ。
その時、一人の若い職員が、おずおずと前に出た。
「……あの、私が少しだけ、調べたことがあります」
その声はかすれていた。
長年、沈黙と服従を強いられてきた者の喉から絞り出されるようにして紡がれた言葉だった。
灰色の制服に身を包んだ中年の女性職員が、グレゴールたちの視線を浴びながら、おずおずと一歩を踏み出した。
震える指先で端末を操作しながら、彼女は続ける。
「この子の名前は……カミーユ・ヴァレス。旧南米連邦圏の戸籍に登録されていた、十六歳の少女です。詳しい記録は消されかけていて、かなり断片的ですが……少なくとも、以前は別の統一政府施設に収容されていたようです」
その場に居合わせた誰もが、固唾を飲んだ。
情報の断片が、不気味な輪郭を帯び始める。
「彼女は……その施設で、自我の分離処理を受けたと見られます。つまり……意識を肉体から切り離されたんです。コードネームすら与えられていません。ただ、『実験体L-9A』とだけ……」
職員の目が泳ぐ。
彼女の手の中の端末には、読み取り不能となったデータファイルのリストが並んでいた。
「これは……私の推測を含みますが、恐らく、これは“魂の脱構築”とでも呼ぶべき処置です。倫理審査を回避するために記録はほとんど抹消されていますが、意識情報を切り離して別の装置に保管しようとした、非常に危険な試み……」
話を聞いた若き女性戦闘員は、思わず息を呑んだ。
隣に立つ、銀縁のゴーグルをかけた情報分析官は、言葉なく眉をひそめる。
その額にはうっすらと冷たい汗が浮かんでいた。
その後方、最年少の工作班員は、小刻みに震える指を抑えるようにして拳を握り締めた。
爪が掌に食い込むほど強く――それでも叫ばなかった。
叫ぶべき言葉が、見つからなかったのだ。
たとえ分類不能とは言え、明らかに同じ人間だ。
その人間を相手に、何故、血も涙もない、ここまでの非道な行為を働けるのだろうか……。
誰もが沈黙した。
「その後、意識のない状態――いえ、魂を抜かれた殻のような状態になったカミーユの肉体だけが、ここへと移送されてきたようです。なぜここだったのかは、まだ……分かりません。ただ……」
言葉に詰まり、彼女は唇を噛んだ。
「……問題は、その“自我”が、今もどこかで保管されているのか、それとも……すでに破棄されてしまったのか。どちらにせよ、ここにいるのは……カミーユの身体だけです。彼女の心は、まだ……この世界のどこかにあるかもしれませんが……」
重苦しい沈黙が、施設の医療棟を包み込んだ。
無機質な照明が少女の頬を照らしていたが、そこには何の表情も宿っていなかった。
ただ、時間の止まった琥珀のように、彼女は眠っていた。
「……統一政府がここまでのことをするところを見ると、これはただの少女ではないのだろう」
グレゴールは静かに呟いた。
「何故、意識を抜き取った“器”として、彼女をこのまま放置していたのか……」
答えは誰にも分からなかった。
彼女はただ、身体を機械と管に繋がれ、まぶたを閉じたまま、沈黙の眠りに落ち続けていた。




