第十一節 カミーユの行方と“沈黙の異物” 1
統一政府の統制が揺らぎ始めたのは、レオが公の場で「シリウス計画」の全貌、トランス・ウルトラ・ヒューマン構成因子設計図を暴露した、その直後からであった。
混乱はあった。
だがそれ以上に、社会は変わろうとする鼓動を早めていった。
都市の広場では、現生人類、超人類、トランス・ウルトラ・ヒューマン、そして機械人類の若者たちが手を取り合い、未来の共栄を叫ぶ光景が増えていった。
4つの人類種間の分断が統一政府による企てだったのではないかとの陰謀説も速やかに浸透し、そのことに対する抗議や反発も広がりを見せていた。
同時に、暗がりでは別の胎動があった。
理想に燃える者たちが、新たな“レジスタンス”を組織し、隔離された混ざり者たちの解放を目指す運動を始めていた。
その中の一つに琲紅自治州で結成された「天秤の焔」があった。
正義と破壊の均衡を意味するその名の通り、彼らは極力流血を避けながらも、必要とあらば政府の施設にも斬り込む覚悟を持っていた。
その日の未明、琲紅自治州の荒れ果てた海沿いに、不気味な静寂を湛えた建物の巨影が、月光を背に黒々と浮かび上がっていた。
統一政府が極秘裏に運営する、使用目的すら公表されていない謎の施設だった。
まるで廃墟と錯覚しそうなほど、外壁は煤けたように黒ずみ、風雨に打たれた痕跡が剥き出しのまま残されている。
だが、その傷だらけの姿は、単なる老朽ではなかった。
それはむしろ、意図的に“人の気配”を拒み、“記憶”さえも留めさせないかのような、異様な意匠だった。
鉄とガラスと鉛で組まれた無機質な直方体群が、歪んだ幾何学的配置で海に向かって口を開けている様は、まるで巨大な死体の胸腔を覗き込むような不快感をもたらした。
施設の外周を囲うのは三重の防護柵と電磁結界。
どこまでも続くかのように広がる敷地は、監視塔と無人センサー群によって区画化され、外部との一切の交信を拒絶していた。
敷地内には草木すら育たず、地面は剥き出しのコンクリートと、ところどころに染み付いた赤黒い痕で彩られている。
その痕が、血なのか、薬品なのか、それとも――それ以上の何かなのか、判別はつかない。
最も目を引くのは、中央棟と呼ばれる巨大建造物だった。
十数階に及ぶ構造を持ちながら、窓という窓が塞がれており、外界との視線の接触を意図的に絶っている。
まるで世界そのものから隔絶され、異なる理の下に建てられたかのような、異様な建築様式。内部の構造は不明。
だが、建物から発せられる微かな振動――機械とも、生体ともつかぬノイズが、夜の静寂をじわじわと蝕んでいた。
ここで何が行われているのか。それを知る者はいない。
ただ、何かが「行われていた」のではなく、今この瞬間も「進行している」のだという感覚だけが、皮膚の下に冷たい棘のように突き刺さってくる。
その施設の周囲に、百名規模の「天秤の焔」の突撃部隊が、無言のまま集結していた。
誰もがその建物に言い知れぬ嫌悪を抱きながらも、それでも進まなければならなかった。
というのも、この施設が〈混ざり者〉たちを強制的に収容し、非人道的な実験を繰り返しているという内部告発が、天秤の焔のもとに届けられていたからである。
その告発を行ったのは、この施設に勤務する職員の一人であり、統一政府の秘密裡に掲げる「浄化」という名の暴力に対し、ついに良心の呵責に耐えきれなくなった人物であった。
浜風に塩の匂いが混ざる中、隊員たちは静かに息を呑み、互いの装備を確認する。
無線が沈黙の中で命令を伝えると、全員が一糸乱れぬ動きで配置についた。
天秤の焔は、あらかじめ施設の構造図を元にした作戦を何度も繰り返し検討していた。
さらに、施設内に密かに協力者を得ることにも成功していた。
結果として、制圧作戦は驚くほど静かに、そしてあっけないほど速やかに終わった。
闇に紛れて施設の外周を取り囲んだ「天秤の焔」の隊員たちは、合図とともに一斉に侵入を開始したが、そこに待ち受けていたはずの銃火も、警報のけたたましい音も、耳をつんざく怒号すらなかった。
ただ、広大な施設を覆う夜の静寂と、微かに軋む鉄扉の音だけが響いていた。
不意を突かれた職員たちは、部隊の侵入を知ってもなお、腰を抜かしたように立ち尽くす者や、所在なげに目を泳がせる者ばかりで、組織的な抵抗など影も形もなかった。
むしろその中の数人――施設の現状に内心で反発していた者たちが、自ら進み出て、制御室への案内役を申し出たのである。
彼らは黙したまま、合鍵や認証コードの記録された端末を手渡し、監視システムの停止手順を、手慣れた様子で説明した。
その瞬間、勝負はすでに決していた。
作戦は終始、威嚇射撃する必要すらなかった。
鋼鉄の要塞とも呼ぶべきこの忌まわしき建物が、まるで内部から崩れ落ちるかのように、音もなく掌中に収まっていく様は、まるで拍子抜けするほどであった。
隊員たちは互いに視線を交わしながら、それが罠ではないかと一瞬、疑念すら抱いたほどだった。




