第六節 静寂の果てで 3
そしてシリウス計画について記した公文書もあった。
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大統領権限第23講秘密計画遂行権に基づき進化政策局特務計画部がシリウス計画を策定し、実行することを許可する。
2122年7月27日
世界連邦大統領 カリナ・イェレナ・アストレイン
シリウス計画
【概要】
新たな形質を獲得する目的で、地球上に存在するいかなる生命体も保有していな
い遺伝子配列を、先端の遺伝子制作技術により創出し、その人造人工遺伝子を組
み込んだDNAを基礎とした人造人工精子・人造人工卵子を用い、
機械人類に準ずる計算・処理能力と現世人類に代表される人間由来の生存本能・
生殖本能を併せ持ち、超人類に特有の優れた形質、トランス・ウルトラ・ヒュー
マンに特有の優れた形質を伝承した、
「全人類の優位性を統合した進化の最終形態たる人類」を創造することが本計画
の最終目標である。
具体的には、機械と有機物がなる身体とを、細胞レベルで融合し、機械と神経を
完全に一体化し、機械の性能・能力を最大値まで引き出せる身体を作り出すこと
を目標とする。
今日まで、トランス・ウルトラ・ヒューマンは、生物由来の遺伝子を使用し、
神経の一部を人工素材に置き換える等で機械と身体との融合を目指してきた。
しかし、前者による能力の向上は限界に達し、後者も、人工素材でできた神経と
脳、身体との接合は、どれだけ改良を重ねても、望ましい結果を得られなかった
。
そこで本計画では、これまでの研究により発見された機械と有機物をより完全に
近い形で一体化させうる新たな形質を、遺伝子配列として構築し、人造人工DNA
に組み込んだ。
被験者が成人後、手術を受けてトランス・ウルトラ・ヒューマンになった際、
現行のトランス・ウルトラ・ヒューマンの能力値の240%(推定)を達成できる
見込みである。
* * *
レオは、震える手でディスプレイを見つめた。
そこにあったのは、自分が自分であるという信念を根底から否定する、決定的な情報だった。
「俺は……誰なんだ……」
喉の奥から、掠れた声が漏れた。
それは言葉というより、魂の底から滲み出た、言語以前の呻きだった。
──生命として“生まれた”存在ではなく、“生み出された”存在。
──父のように人工知能から派生したアンドロイドでもなく、母のように後天的な改造を施された現生人類でもない。
──その中間ですらない。完全に“意図された計画物”として、選別され、設計され、構築された存在。
その事実が、レオの脳内で凄まじい速度で反芻され、絡まり、収束し、再び拡散する。
自己像という名の塔が、音もなく崩れ落ちていく。
自らの記憶でさえ疑わしく思えた。
幼少期の光景、母の微笑、父の抱擁──それらすら、後付けされた“演出”ではないかという猜疑が胸を支配する。
自分は最初から、誰かの意志によって“作られた”。
形質を操作され、遺伝子を選び抜かれ、人工的に合成された存在。
地球上のどの生命体にも存在しない“新たな遺伝子”──自然界に存在し得ない人工コードが、自分の核に組み込まれている。
そのDNAは、父と呼ばれていたアンドロイドの「身体的特徴に似た形質」を模した情報を基に、慎重に構築されていた――というのは、単なる“見かけ”に過ぎなかった。
真実の自分は、もはや“人類”という分類すら曖昧な、境界線を越えた存在だった。
「うっ……!」
突如こみ上げてくる吐き気に、レオは堪えきれず嘔吐した。
「大丈夫……?」
ミナトが駆け寄り、そっと背をさすろうとする。
「触るな!!」
レオは屈んだまま、荒く手を振り払った。
「俺に触るな……俺は……一体、なんなんだ……!」
その声はかすれて、地下の静寂に染み入るように拡がっていった。
目を閉じた瞬間、ふと脳裏に母・真凛の声がよぎる。
──レオ、あなたは、あなたなのよ。
その言葉は、記憶の奥に埋もれていた祈りのように、わずかに響いた。
けれど今は、それすら“信仰”の域だった。
『あなたはあなた』という命題が、設計によって与えられた虚構に思えてならなかった。
もし自分を構成する全てが、誰かの設計図に基づいた“部品”だったとしたら──。
“個”とは、なんなのか。
“自由”とは、どこにあるのか。
“人間”とは、何を意味するのか。
そんな問いが、重さを伴ってレオの全身を圧し潰していく。
思考の底で、ぽっかりと空洞が開いた。
それは、破滅へと至る穴であり、同時に、何か新たなものを孕む胎動でもあった。
そしてその空洞の深みへ、レオの意識は静かに滑り落ちていった。
──彼は、気を失った。




