第六節 静寂の果てで 1
薄暗い空間に、仄かな蒼光が満ちていた。
地下数百メートル、鋼鉄と複合鉱物で覆われた巨大な空洞──統一政府・研究データ保管システムの中枢、深層ノードのさらに最奥。機密中の機密として存在するこの領域は、「〈沈黙の層〉」と名付けられ、記録上は存在を抹消された空間だった。
面積にして約五千平方メートル、高さ三十メートル以上。
天井はアーチ状の多層構造で、特殊な偏光合金に覆われている。
かすかに波打つその内壁が、点在する青白い発光体の光を柔らかく反射し、空間全体に幽玄な光を拡散させていた。まるで、深海の底に沈んだ神殿のようだ。
中央には、円形の操作卓とその周囲に配された複数の監視装置、ホログラムプロジェクタが鎮座している。
まるで神殿の祭壇のように、異様な静けさと荘厳さが漂っていた。
周囲を囲むようにして並ぶ八つの柱状端末には、それぞれ異なる識別コードが刻まれており、各端末は独立したセキュリティフレームを持っていた。
いずれも、地上の制御システムとは完全に切り離された独立構造となっている。
壁際には、冷却システムとエネルギー供給ラインが格子状に組み込まれ、その一部は光学繊維と融合した高密度演算管に接続されている。
これにより、〈沈黙の層〉では、外部との接続を一切持たないまま、政府中枢が厳重に秘匿する“絶対機密”のみが、独立して集積・分析される。
足元の床材は、外部からの音を吸収するために特殊な吸音素材で構成され、靴音ひとつすら響かない。誰かがこの場所を歩いても、存在の痕跡は何も残さない。
まさに“沈黙”そのものを体現する設計だ。
レオとミナトは中央まで進んだ。
レオの眼前に、無数のホログラフがゆらめく。
それは単なるデータではなかった。歴史であり、構造であり、遺伝子の幾何学的な曼荼羅であった。
幾層にも重なり合う記号群の中心に、一つのタイトルが浮かび上がる。
――〈T.U.H.構成因子設計図〉。
指先でそっと触れると、光の層が解け、詳細が顕になる。
〈自己修復機能〉、〈精神耐性因子〉、〈拡張適応機構〉──。
それらはすべて、進化ではなく、設計によって導入された特性。
だが、レオの視線を釘付けにしたのは、その末尾に記された一項目だった。
〈創発的倫理制御因子〉。
モニターに投影された三面図が、蒼い光に包まれてゆっくりと回転していた。
正面図、断面図、透過投影――その緻密な意匠は、もはや医療機器の範疇すら超えていた。
「……これは……」
レオが静かに息を呑んだ。
因子とは呼ばれていたが、実態は超微小な神経干渉型構造体である。
長径四ミリ、厚さ一ミリ未満の複合ナノデバイスで、生体適応素材によって構成され、脳神経網に直接融合。思考判断における倫理的傾向を補正し、暴走や逸脱を抑止する演算機能を有していた。
自己修復機構、動的パターン認識アルゴリズム、そして分散型記憶保持領域までもが内包されており、それはもはや**“内なる観測者”**だった。
開発されたのは2139年。
製造と臨床試験は、統一政府直轄の対次世代人類戦略技術局(USTSD)第六開発棟で極秘に行われた。
正式名称は《E-ECI(Emergent Ethical Control Interface)》と記録されているが、公文書にその名が現れることは一度もなかった。
「倫理を……この装置で制御するつもりだったのか……」
レオの声は震えていた。
そこにあったのは、生存や知性のための単なる安全装置ではなかった。
他者との共存を強制的に“正しい選択”へと導くための、構造化された良心の骨格。
自由意志の核に介入し、選択肢の一つひとつを倫理的に最適化するよう“支援”する、
――否、誘導するためのシステムだった。
そしてふと、レオの脳裏にひとつの想念が閃いた。
――トランス・ウルトラ・ヒューマン達が、これまで下してきたあらゆる判断が、本当に“彼ら自身のもの”だったのか――
自己犠牲も、連帯も、冷徹な判断も、すべてこの制御因子に補正された結果だったとしたら?
倫理的に優れた存在と見なされてきた彼らの理性は、本当に“意志”だったのか?
「……こんなものまで、作られていたのか」
レオが呟く。
そしてミナトが静かに言葉を重ねる。
「この装置が生まれた目的は、意思を定型化すること。――選べるように見せて、選ばせないための仕組み。開発者達はトランス・ウルトラ・ヒューマンを、操り人形にしようとしていたのね……」




