第五節 深層ノードの最奥 3
ミナトは入り組んだ通路の最奥へと向かい、手首の端末に短く指を滑らせる。すると壁に小さな管理扉が浮かび上がってきた。
「ここが深層ノードへ向かう為のゲート。統一政府のごく一部の役職者のみに与えられる認証コードと、生体認証がない限り、このゲートは絶対に開けられない。3回認証に失敗すれば、私たちは侵入者として駆除される」
ミナトがレオに言った。
「ゲートに触れれば、認証がスタートする。準備はいい?」
「ああ」
レオが扉に掌を当てた。
すると床から金属製の端末ターミナルから競り上がってきて腰の高さで止まり、天井が開いてスキャン装置がゆっくりと降下してきた。
「俺は大川戸レオ。AIノードから選ばれた人間だ」
「識別データ不一致。対象:未登録者。侵入者の可能性を検出――対応プロトコル、起動中」
その言葉と同時に、中層ノードに配備されている攻撃用ドローンがレオとミナトの周囲に集まってきて待機した。攻撃命令が下された場合、二人の生命の安全は絶望的と思われる台数だった。
「警告、生体認証を実施します。動かないで下さい。指示に従わない場合は攻撃します」
目の高さにホログラフィックディスプレイが現れ、スキャン状況を表示する。無数の光線がレオの全身をなぞり、スキャンが進行していく。
異変が起きたのは、スキャンの終了と同時だった。
ホログラフィックディスプレイの一部が唐突に歪み、波紋のようにノイズが走る。画面内には、規格外の認証コードが浮かび上がった。
未知のアルゴリズムによって構築されたその識別信号は、現行のどのアクセスプロトコルにも該当しないにもかかわらず、システムは警告を発することもなく、むしろ静かにその存在を受け入れた。
『想定外のアクセスを検出……補完プロトコルを起動……コード承認。特別解錠処理を実行』
機械の声は、まるで自己の中に眠っていた根源的な命令を再起動させたかのように、淡々としていて、だがどこか神聖にも聞こえた。
集まっていたドローンたちは蜘蛛の子を散らすように去って行った。
ミナトが目を細める。
「ノードに選ばれた者だけが持つ、特異なアクセス権限があるのね」
「どうやらそうらしい」
レオが答える。そして言葉を続けた。
「ここから先が、深層ノードか……」
静かに、扉が開いていく。その先は通路になっていて、そこを抜けると、鋼鉄で縁取られたエレベーターシャフトが現れた。
無人のエレベーターが、彼らの到来を予期していたかのようにすでに待機している。乗り込んだ二人を包み込むように扉が閉まり、下降が始まった。それはただの垂直移動ではなかった。重力遮断装置が作動し、身体の感覚がふわりと浮き、次いで圧し掛かるような重圧が襲ってくる。空間そのものが、緩やかに折りたたまれていくかのような錯覚。耳の奥で、電子的なささやきが断続的に響き、レオは何度か視界を歪ませながら、静かに深く沈んでいった。
十数分が過ぎ、沈黙が極限に達した頃、エレベーターが停止した。
扉が開くと、その先には、抑制された照明と無音の空気が支配する、無機質な回廊が続いていた。コンクリートと金属、絶縁処理されたケーブルと冷却管が壁面に無数に這い、機械的な秩序のもとに構築された空間は、生物の気配を一切拒絶していた。
人類の表層的な理性が、沈黙する場所だった。
通路の先には複数の分岐があり、それぞれが独立した研究データ保管区や冷凍保管区画、さらに真空保管区画へとつながっている。
空間の中心には、重力制御によって静止状態を保つ小型のデータ・ノードが浮かんでいた。
ミナトの視線の先に、半透明の床を通して見える小さなプラットフォームがあった。
彼女が何も言わずに歩み寄ると、それは沈黙のまま起動した。
転送型エレベーター――空間を折り曲げ、存在そのものを「別の座標」へと滑らせるための装置だった。
重力制御とは異なり、感覚そのものが喪失するような、現実の輪郭が溶けていくような感触。
レオが足を踏み入れると、思考の芯に微細な振動が走った。
皮膚が内側から開かれるような違和感。
景色は滲み、空間がひび割れ、光が収束し、やがてすべてが――静止した。
次に目を開けたとき、そこは異形の領域だった。
壁面も床も、どこまでも黒に近い灰で塗り込められたその空間の奥に、ただ一つ、巨大な門が聳えていた。
扉に鍵穴はなく、パネルも存在しない。ただ、無言のまま、空間そのものが問いかけてくる。
レオが無意識のうちに近づくと、空間が脈打ち始めた。
彼の歩みに応じて、床に幾何学的な光の紋様が現れる。
「……ここが、沈黙の層」
ミナトの声は、祈りのように低く響いた。
レオが門を閉ざす扉に手を触れると、静かに左右に開いた。




