第二節 社会の臨界点 5
レオの共生思想が世界中に伝播し、支持を集めていくにつれ、各人類種の排外主義者達は自らの立場への脅威と捉え、行動を更に過激化させていった。
とりわけ、テロとその報復が連鎖的に応酬した後は、統一政府の取り締まりにもかかわらず、世界各地で機械人類やトランス・ウルトラ・ヒューマンの急進派による武装暴動が頻発し、都市は次々に荒廃していった。
それでも、レオが行ってきた数々の演説は、多くの支持者と支援者の手によって、統一政府の情報管制に触れぬ範囲で、さまざまな媒体により繰り返し放送されていた。
『分断は、選択ではない。過去の延長に過ぎない。だが、未来を選ぶことはできる』
その言葉は、虚空へと放たれた一本の矢のように、誰に届くとも知れぬまま飛び、そして、それを拾い上げた者たちが確かにいた。
日本の首都・清風の外縁部――灰色にすすけた元工場地帯。
その錆びた鉄骨と崩れた倉庫の隙間に、人々が火を囲み、小さな生活圏を再構築していた。
そこには、老人と子供、かつて日本政府の管理官だった超人類の男、配達用の旧型アンドロイドまでが肩を寄せ合っていた。
「……これ、聴いたか? あの若い男の言葉。レオとかいう名前だったな」
ひとりの中年女性が、自作の携帯端末を掲げながら言った。
映し出されたのは、粗い映像の中で静かに語るレオの姿だった。
「繰り返し観たよ。耳に残る……っていうより、あの声、嘘くさくなかった」
焚き火の傍らで服の綻びを縫っていた若い男が、針を止めて呟いた。
「分断が“過去の延長”ってのは、妙に納得したわ。うちの祖母も、似たこと言ってた」
超人類の女性がうなずいた。
遺伝子強化されたその眼は淡く光を放っていたが、今そこに宿るのは、深い憂いだった。
議論は静かに、けれど確かな熱を帯びていた。
そこに「正解」はなかった。
ただ耳を傾け、考え、自分なりの答えを探そうとする意思があった。
レオのメッセージは、こうして不可視の地下水脈のように、小さなネットワークへと静かに滲み出していった。
* * *
国内で共生の声を広げていたのは、反武装派の境界人組織〈ノー・エッジ〉だけではなかった。
飛霞自治州と接する琲紅自治州――そこでは、天秤の焔と呼ばれる新興団体の若者たちが、武装暴動で無人と化した州都の通信施設へと侵入し、朽ちかけた設備を再接続して、州全域にレオの音声を流した。
「ハッシュ化して分散送信だ。AI監視網には引っかからない」
静かに言った青年の声には、抑えきれぬ決意が滲んでいた。
彼は元労働用アンドロイドだった。
登録変更を経て機械人類となったが、その後は幾度も差別と排斥にさらされてきた。
今、彼は自らの選択で、“人の希望”を運んでいた。
もちろん、すべての者がレオの言葉に耳を貸したわけではない。
ある若者は冷笑を浮かべ、動画投稿サイトに「偽善者のポエム」と題したコメントを残した。
また州東部の地方放送局では、中年の風貌を持つ司会者が番組中、辛辣な言葉を吐いた。
「彼の言葉は、装飾されたきれい事に過ぎません。価値のない絵に立派な額縁をかけても、その絵の価値が上がるわけではありませんから」
それでも、確かに耳を傾ける者はいた。
少しずつ、けれど着実に、心を動かされる者たちがいた。
琲紅自治州の寂れた工業都市――かつての工場跡を改装したバラックの一室。
薄暗い部屋には、現生人類の老婆、青年の姿をした機械人類、トランス・ウルトラ・ヒューマンの女が肩を並べていた。
「……結局、ここにあるのは人の手と心だけだねぇ」
毛布にくるまった老婆が、外から戻った青年に向かってぽつりと呟く。
「手ならあるし、心は……ま、出せって言われりゃ、出すさ」
青年の外見を持つ機械人類は微笑みながら暖炉に薪をくべた。
隣では、トランス・ウルトラ・ヒューマンの女が壊れた調理器具を丁寧に修理していた。
そこには、ただ“誰かの役に立ちたい”という、静かな祈りにも似た想いがあった。
種を越えて分かち合われる人の温もり。
理屈ではない。
そこにあったのは、レオの言葉を媒介にして芽吹いた、ほとんど目に見えぬほどか細く、けれど確かに存在する新しい社会の形だった。
* * *
世界は今、崩壊の淵にあった。
高層都市は機能停止し、世界連邦を構成する国家群と各自治州は、テロ対策の名のもとに統一政府の管理下に置かれ、衛星通信網も同じく統制下で沈黙した。
希望はまだ、地下に燻る火のように頼りなかった。
だが、その隙間に、誰かが灯した小さな炎が、確かにひとつ、揺れていた。




