第二節 社会の臨界点 4
現在、評議会内では緊急会議が開かれていた。
舞台は光とデータの海に包まれた仮想空間〈アルカディア〉。
各派閥の代表たちが、互いに非難と弁明をぶつけ合う。
「これは、意図的な情報操作ではないのか? なぜヴァルだけが解析結果を入手できたのか!」
そう怒りをあらわにしたのは、現生人類擁護派の評議員リュカ・セラフィムだった。
評議会の透明性と中立を最重視する彼にとって、今回の件は決して看過できない。
「偶然だ。我々がレポートを受け取ったのは、たまたまシステム調整時期と重なっただけだ」
冷静に応じたマグナス・ヴァルは、トランス・ウルトラ・ヒューマンの理想を掲げる戦略家であり、言葉を緻密に選びながらも、責任の所在をぼかすことに長けていた。
だが、その仮想円卓には、一人だけ沈黙を守る存在があった。
ノウス・コア。
中立と非介入を原則とするマザーコンピューターは、通常、意思決定に直接介入することはない。
だがこの日、彼の意識球体はどこか鈍く脈動し続けていた。まるで、苦悩しているかのように。
* * *
外の現実では、抗議が暴動に変わりつつあった。
火炎瓶が再び投げ込まれ、ドームの防壁が揺れる。
空を飛ぶドローンが催涙弾を撒き散らし、人々の叫びと怒号が渦を巻いた。
アキラとリナは、煙の中を手を取り合いながら駆け抜けた。逃げ場はなくとも、立ち止まる理由もなかった。
「AIまで……嘘をつくのかよ……。じゃあ、俺たちは……何を信じればいいんだ……」
アキラの呟きが、リナの胸を深く貫いた。
彼女はノウス・コアを、AIという存在そのものを、心から信じていた。
信じたかったのだ。
だが、その沈黙こそが、なにより重く響いていた。
* * *
AI評議会は、テロと死を語らず、正義から目を背け、不祥事を秘匿した。
人々はAIに生活を委ね、未来を信託していた。
だが、いまやその信頼は、音もなく崩れ落ちつつある。
そして――ノウス・コアは、なおも語らなかった。
その沈黙は、もはや中立などではない。
それは、ひとつの意志だ。
あるいは、迷いの表れだった。
AIの“中立神話”が崩壊する。
それは、文明の脊椎が折れる音だった。




