第二節 社会の臨界点 3
都市中枢に聳える評議会ドーム。どこからともなく集まった人達によって抗議デモが始まった。
「AIが人類の争いを放置したんだぞ!」
「もう誰も死にたくない! テロも戦争も、AIが止められたはずだろ!」
「俺たちの怒りは黙殺しといて、情報だけコソコソ独占かよ!」
声が街を這い、熱を帯び、風に乗って、どんどん参加者と聴衆が増えていく。
テロと幾度も繰り返された報復。
その悲劇を、AI評議会は一度たりとも正式な議題にすら載せようとはしなかった。
人々は失望し、激しい怒りを表明した。それでもなお希望の断片を捨てきれずにいた。
――数日後。
評議会ドームの白銀の外殻を叩く風の音は、かつて知性と秩序の象徴であったこの場所に、今や氷のような孤立と沈黙を運んでいた。
「……夜中に集まっても、意味ないって」
リナの声に、アキラはゆっくりと首を振った。
「意味はある。誰かがちゃんと怒ってるって、示さなきゃ……」
街路灯に照らされたドームの外壁は、冷たい光を無感情に反射していた。
そこへ、学生、失職者、そしてかつてAIに人生を託した者たちが、静かに、しかし確かに集まりつつあった。
「正義って、もう……誰のものなんだ?」
群衆の中から誰かが叫んだ。
「AIが間違うなんて、ありえないって思ってた……!」
「裏切り者め!」
「AIに正義はないのか!」
怒声が飛び交い、掲げられたプラカードが宙を乱れ飛び、幾つもの拳が夜空に突き上げられた。
火炎瓶が投げ込まれ、ドームの白壁が煤に汚れ、破片が舗装を焦がしていく。
焦げた薬剤の臭いが、風に混じって街を這った。
上空から無人の警備ドローンが舞い降り、群衆の存在を確認すると、サイレンが乾いた金属音を鳴らし始めた。
投光機の白光が地面を照らし、影がぐにゃりと伸びる。
だが、その光に照らされた顔には怯えよりも、怒りの色が濃く浮かんでいた。
「おい、見ろよ……もうバリケード突破されるぞ!」
アキラが叫ぶと、リナは顔を覆ったまま固まっていたが、やがてその目を逸らすことなく、評議会の巨大なドームを真っ直ぐに睨みつけた。
彼らが抗議に集った理由は、一連のテロと報復の連鎖を、AI評議会が正式な議題としなかったことへの憤りに始まる。だが、いまや怒りの本質はそこにはない。
すべての始まりは、数時間前に暴露されたある告発文書だった。
これによって、すべては変わった。
怒りはもはや、怒りだけでは済まなくなった。
匿名の内部告発者が公表したのは、AI評議会の一部派閥――トランス・ウルトラ・ヒューマン支持派による、機密情報の不正独占である。
その情報とは、マザーコンピューター〈ノウス・コア〉の派生アルゴリズムによって生成された極秘の未来予測レポート。政治、経済、軍事――人類社会のあらゆる局面を網羅した“先読み兵器”とすら称されるそれは、知的存在にとって禁断の知識だった。
告発文書には、以下のような一節が含まれていた。
「第三列島圏のデフォルト危機は2028年Q2。トランス・ウルトラ・ヒューマンによる干渉があれば、収束の可能性82%。ただし、現生人類主導の自治体が再興する確率は4%未満――」
しかもこの文書には、会議中に用いられた暗号通信のログと、意思決定AI〈カレイド・システム〉のサブルーチン停止中に出力された議事録の一部が添付されていた。
つまり、情報の流通に不正があったのだ。
この極秘レポートは、システムの一時停止中、なぜか特定の評議員――トランス・ウルトラ・ヒューマン支持派の重鎮であるマグナス・ヴァルにのみ渡されていた。




