第二節 社会の臨界点 1
軌道エレベーターには軌道上に多くの施設があり、交通網も発達して入り組み、住民人口が多くなった為、行政活動の円滑化、合理化、効率化を目的として自治体が設立され、それに伴って軌道上政府が成立した。
パタゴニアAI管理センター、アステロイド・ドック27、AIセンター・エリジオンなどへのサイバー攻撃、軌道エレベーター動力中枢の爆破事件――それら一連のテロを受け、統一政府・軌道上政府間にかつてないほどの軍事的・政治的緊張が一気に高まった。
まず、統一政府安全保障理事会は、事件発生から四十八時間以内に**「緊急治安維持強化法案」**を即時通過させ、特別警戒レベルを最大に引き上げた。
これにより、世界連邦構成各国の都市警備システムはAIによる行動解析と顔認証の自動即時照合を強化し、公共空間における個人の移動データの収集と保管期間が拡大された。
治安維持省の下部組織である「公安情報統合庁」は、新たに〈過激思想監視アルゴリズム〉を導入。
SNS、プライベートチャット、メタ空間での思想活動も自動追跡対象に加えられ、思想的傾向に基づいた「潜在的危険人物リスト」が作成されるようになった。
対象とされた市民は本人の知らぬ間に金融口座が制限され、国家による暗黙の“足止め”が行われる。
一方、対テロ戦略における軍事的対応も急速に加速した。
軌道上の軍事セクターでは、次世代ステルス型ドローン〈セラフィムⅣ〉の実戦配備が前倒しされ、宇宙空間における哨戒網が再構築された。
地上でも、各構成国、あるいは構成国の各州政府に配備された機械人類の警備部隊が、統一政府からの指示で「実弾装備化」され、トランス・ウルトラ・ヒューマンの住民が多い地域では無人制圧機動隊〈IRIS〉の常時待機が命じられた。
だが、最も揺れたのは――政治だった。
軌道上議会においては、超人類とトランス・ウルトラ・ヒューマン出身の代表たちを中心に、機械人類勢力に対する強硬な非難決議案が提出された。
これに対して、機械人類の穏健派議員たちは、「一部の急進派による暴走を種全体の責任に転嫁するのは非合理である」と真っ向から反論。議会は分裂状態に陥った。
さらに、統一政府首班が出席する形で開かれた非常会合では、現生人類・超人類・トランス・ウルトラ・ヒューマン・機械人類の各代表が出席する中、激しい応酬が繰り広げられた。
「我々は敵同士ではない。しかし、すでに進化の名を借りた選民思想が暴走し始めている。放置すれば、これは種の存亡をかけた戦争へと拡大する」
そう主張したのは、地球圏自治評議会の機械人類代表であり、機械人類連盟系のリーダー格であったエリザ・グラフである。
これに対し、トランス・ウルトラ・ヒューマンの若手代表、リュシアン・ハルデンは、静かな声で返した。
「貴女が言う“我々”の中に、**我々トランス・ウルトラ・ヒューマンが含まれている保証は、もはや存在しない。**その境界線を引いたのは、あなた方だ」
議場は沈黙に包まれ、数秒ののち、議長によって強制的に閉会が宣言された。
その直後、統一政府の外郭機関である**「人類種間調整局」**が声明を発表し、機械人類の人口割合が多い国への技術移転の一時凍結と、安全保障協定の再検討を通告。これは事実上の外交的制裁であり、事態はさらに深刻化する兆しを見せた。
統一政府の足並みは揃わず、互いへの不信と牽制が募る一方だった。
かくして、「報復の連鎖」が引き起こしたのは、テロリズムによる物理的破壊だけではなく、人類種の間に刻まれた断絶の拡大と、全面衝突への地ならしでもあった。
秩序は、音もなく崩れつつあった。




