第一節 分断の深化 2
人工衛星の軌道下、インドネシア領に築かれた赤道直下の都市エルデ・ゼロ。
その地下、熱帯の湿気に包まれた廃工場の残骸に似た構造物の奥で、一つの会合が開かれていた。
鈍い銀色に輝く、冷却仕上げの円卓。その表面には、微細な回路文様が浮かび上がっていた。
人間の手ではもはや作れぬ精度――それは、人類の極みの象徴だった。
その周囲を囲むのは、トランス・ウルトラ・ヒューマンの肉体を持つ者たち。
皮膚の下を走る血管。
その内部を流れるのは、血液と共に循環する極小の機械たち――生体モニタリング用センサー、体内修復ナノマシン、自律神経と接続された情報送信モジュール、そして医療的診断・予測用のインプラン。全身の状態はリアルタイムで解析され、最適な処置が瞬時に下される。
彼らの瞳孔の奥には、微細なインターフェースが煌めいていた。
だが、それは網膜の反射でも、電子光でもない。生体視神経と補助AIが協調する、一種の“視覚の拡張”だった。
トランス・ウルトラ・ヒューマンこそ最強の人類種であり、人類進化の最終章にして、文明の指導者となるべき種であると信じて疑わない者たち、急進派組織――〈エボリューション・ネクサス〉。
「言葉では何も変わらない」
拡張筋肉と高伝導神経束によって強化された腕を持つ男が、で、無言のまま拳で机を打った。
その衝撃で、卓上に置かれたホログラフィック投影がわずかに揺れた。
「我々は、この星を維持する義務がある。だが……過去の残滓どもが、進化の足を引っ張っている。生身の肉体を捨て鉄の塊となり進化の“失敗作”となった機械人類のどもが、機械の優位性を盾に我々の存在を脅かしているのだ。いつまで黙って見ているつもりだ?」
「いや……もう、見てはいない」
席の奥から、女性の声が響いた。
彼女の顔には、いかなる瑕も存在しない。シミ一つない滑らかな肌は、真皮層に埋め込まれたナノスケールの美容補助機構によって、常時モニタリングと補正を受けていた。
微細機械群は細胞の酸化状態を監視し、コラーゲン密度と水分保持力を維持し続ける。
表皮では微弱な電磁パルスが断続的に発され、細胞代謝を活性化することで、しわやたるみの兆候すら発生前に消去されていた。
加えて、彼女の両肩甲骨には、皮下に隠された抗老化ホルモン合成装置が内蔵されており、老化因子を抑制する化合物を体内循環へと定量的に供給している。
この装置は、骨格筋の動きや皮膚温度、内分泌反応のわずかな変化すら感知し、老化進行の兆候をリアルタイムで解析する。
そのデータは、セキュア回線を通じて個人データクラウドに転送され、外部モニタでも常時閲覧が可能だった。
彼女にとって“若さ”とは幻想ではない。それは、生物の老化に対する“知的な抗戦”であり、進化の道を歩む者にとって当然の保守活動だった。
「本日、パタゴニアAI管理センターのコードを解析完了。バックドアの侵入口は確認済み。今夜――我々は“浄化”を開始する」
パタゴニアAI管理センターは、南米パタゴニア地方に位置する、データセンターと統治中枢を兼ねた複合施設だ。
同施設は、機械人類が運用する各種自治施設の制御AI、政策決定支援を担う統治アルゴリズム生成AI、そして多数派を形成する機械人類自治体での補助統治機能など、広域にわたる人工知能ネットワークを遠隔管理していた。
その中核を担うのが、感情抑制派と呼ばれる派閥だった。彼らは「感情」を生物由来の欠陥と見なし、排除こそが人類進化の正統な道筋だと信じていた。
部屋に沈黙が落ちたのは、歓声の直前のわずかな間だった。
「やれ」
「終わらせろ」
「旧世代を断て」
狂熱と信念のはざまで、眼差しが鋭く、光を帯びて一点を見つめていた。




