第十六節 緩やかな連帯 2
レオとミナトは、結論が出るまでの間、地下複合施設の一角に設けられた空き部屋に案内された。
そこは簡素ながらも整えられた空間で、金属と布の匂いがわずかに鼻をついた。部屋の隅には旧型の給湯装置と椅子が並び、仄暗い光の中、二人は静かに腰を下ろした。
薄暗い空間に沈む静寂を破るように、ミナトの声が穏やかに響いた。
「グラディスが言っていた、ミューズが呼んでいるって話、どう思う?」
レオは椅子に深く腰掛け、金属の壁に視線を預けたまま答えた。
「確かに話の辻褄は合ってる。意外な盲点だった。自分の研究が盗まれたことにばかり目がいっていて、盗む目的だったなら、わざわざ俺の勤め先でやるわけがないことにまで頭が回らなかった」
その声には、静かな悔恨が滲んでいた。研究者として積み上げてきた知識と経験。それでも見抜けなかった意図が、いまようやく姿を現そうとしていた。
ミナトは頷いた。
「私もうっかりしていた。あなたに気づかせる為にやっていたのだとしたら、見方が全く変わるのに」
そう言った後、彼女はわずかに姿勢を正し、レオの横顔に目を向けた。薄い光に照らされたその表情は、柔らかさと警戒が入り混じっていた。
「やはりL2の〈ステラ・エリュシオン・ノード〉に行くの?」
レオは頷きながら答えた。
「ああ。行って確かめる以外にない。仮にミューズが呼んだのでなかったとしても、あそこに行って話を聞けば、誰が論文を盗んだのか、犯人がわかるかもしれないし」
言葉は迷いを含まなかった。行動に裏打ちされた確信が、そこにあった。
ミナトはわずかに唇を噛み、ふと視線を床に落とした。しばしの沈黙ののち、彼女はぽつりと呟くように言った。
「あなたが前に申請した渡航許可、結局、下りなかったんだよね。でも、飛霞には宇宙船の発着場が幾つかあるし、〈ノー・エッジ〉が押さえてるところもある。こんなこと言っちゃいけないのはわかってるけど……こういう状況になったからこそ、今は自由に行けるんだよね」
それは、ある種の皮肉だった。社会が不安定になったことで、正規の手続きでは到底届かない領域へ、ようやく手が届く。
レオは乾いた笑みを漏らし、言った。
「まったく皮肉なもんだ。もしも今みたいな不安定な社会になっていなかったら、俺はミューズが自分を呼んでいる可能性に気付かなかっただろうし、仮に気づけたとしても、今度は行くことができなかったわけだからな」
部屋の静けさが、ふたたび二人を包んだ。給湯装置の作動音が低く唸り、わずかに温まった空気が肌を撫でる。地上とは異なるこの地下の空間には、時間の流れさえ変質しているかのようだった。
ミナトは、レオの言葉に応えるように小さく笑った。その笑みはどこか寂しげで、しかし諦めを拒むような芯の強さを宿していた。
「この世界って、ほんとうに不思議よね。道が塞がれてると思ったら、いつの間にか別の扉が開いてる」
レオは頷いた。
「いい流れに向かってくれるといいんだが」
そう言ったレオの目に宿った光は、どこか遠くを見据えていた。それは惑星軌道の彼方――第二ラグランジュ点に浮かぶ中継都市〈ステラ・エリュシオン・ノード〉へと向けられていた。
 




