第十節 失踪 ――前編:記録を辿る者たち 2
「仮に……誰かが彼女を連れ去ったと仮定しましょう。その場合、どのような手段で外部に出たとお考えですか?」
今度はミナトが問い返した。井尻は軽く頷き、整った眉の奥に考察の色を宿らせながら答えた。
「可能性としては、二つあります。あの夜、EMP放射後に施設は完全な封鎖状態に入り、外部に出る為のあらゆる経路は遮断されていました。一つは、上位権限を持つ者がマスターコードを使用し、いくつかのセクションを解錠して外部から侵入、彼女を連れ去った線。もう一つは、施設の構造的な死角、つまり監視の盲点を突いて侵入された可能性です」
「……内部に協力者がいたという可能性は?」
レオが問い詰めるように尋ねた。
「それはありません」
井尻はきっぱりと首を横に振った。
「あの日、私の監視部で不審な動きを見せた職員は一人もいませんでした。あのタイミングで協力できた人間は、組織の構造上、ごく限られているのです」
レオは腕を組み、うつむき加減に沈思しながら言った。
「あのレベルの隔離施設のマスターコードとなると……統一政府の中でもかなり上位の人間でなければ、扱えない」
ミナトが呟く。
「ええ。使用は厳しく制限されています」
井尻の声音は、微かに重さを帯びた。
「……カミーユは、少女といっても、もう16歳だ。そんな彼女を、騒ぎも起こさず、痕跡一つ残さずに、あの厳重な施設から連れ出すとなれば……どう考えても、常人の手には負えない」
レオの声には、拭いきれぬ疑念と焦燥、そして胸の奥で燻る静かな怒りが宿っていた。言葉を吐き出すたび、それらの感情がじわじわと滲み出る。
それを聞いていた井尻は、ゆっくりと頷いた後、静かに言葉を継いだ。
「――あの子が、何をしたのか。あるいは、どうしてこんな事態になったのか。正直、私にもまったく見当がつきません」
彼はそう述べながら立ち上がり、レオとミナトを真正面から見据えた。眼差しは鋭く、底知れぬ緊張を孕んでいた。
「ですが、あなたたちが今後も彼女を捜し続けるつもりなら、どうか十分に警戒して下さい。相手は恐らく、統一政府の中でも特権的な立場にある特務機関か、それに準ずる存在です」
ミナトが息を呑んだ。その瞬間、アジトの空気が一層重たく沈む。
「私が伝えたかったのは、それだけです」
井尻はゆっくりと身を正し、改めてふたりに視線を注いだ。
レオは目を伏せ、深く頭を下げた。
「……ご協力、感謝します。こんな話をするのはお立場的にもリスクがあったはずなのに……本当に、ありがとうございます」
ミナトも彼に続いて、静かに頭を下げた。
「私からも、お礼を言わせてください。……あなたの言葉は、今後の参考になります」
すると井尻は、ふっと表情を和らげて微笑み、肩の力を抜いた。
「……二人とも、そんなにかしこまらないで下さい。私は自分にできることを少ししただけです。何も、大それたことをしたわけではない」
そして、一歩レオたちから下がり、背を向ける前に一言だけ付け加えた。
「お二人の健闘を、心より祈っています」
そう言い残して、井尻は静かにアジトを後にした。無言の余韻が、部屋に残されたレオとミナトの間に、しばし漂っていた。
*
第一アジトの薄暗い照明の下、レオとミナトは古びたソファに腰を下ろしていた。埃の匂いと、微かに機械油の残り香が混じるその空間に、ふたりの低い声が沈んでいく。
「今の話、どう思う?」
レオが口を開いた。
ミナトは小さく息を吐き、目を伏せながら言葉を選ぶように答えた。
「恐らく、騒ぎにさせない為に、カミーユを連れ去った奴らが吐いた嘘だと思う。彼女が潜入調査員だったと言われれば、突然いなくなっても、職員達は黙るしかないし。誰も口を開かないのも当然だし」
レオは頷きながら目を細めた。
「俺も同じ意見だ。あまりに整いすぎてる。……でも、これでようやく腑に落ちたよ。カミーユが姿を消した後、あの施設内で誰一人として失踪を話題にしなかった理由。あれは組織的な沈黙だったってわけだ」
そして肩を落とし、小さく息を吐いた。
「だが、その代償として――いよいよ、手掛かりがなくなったな」
ミナトは少し間を置いて、静かに頷いた。
「そうね。カミーユは他の子達みたいに、『分類不能』を理由にして施設外に移送されたわけじゃない。だから、既存の移送記録や収容先の一覧を辿っても、絶対に行き着けない」
その言葉には、焦りではなく、冷静な確信がにじんでいた。
レオは腕を組んで黙り込んだ。机の上には使い古された端末と、散乱した紙の資料。全てが遠く過去のもののように感じられた。
「……一度、うちの研究所に行こうと思う」
ミナトが静かに提案した。
「私の研究室から、隔離施設に関する過去のログやデータ類をもう一度、徹底的に洗い出してみる。何か、見落としてる可能性があるから」
声には決意の色が宿っていた。
レオはその言葉に頷き、少し口元を緩めた。
「俺も着いていくよ。……あそこの生き物たちがどうなったのか、ちょっと心配だったし」
軽く言ったつもりだったが、その瞳の奥には、真剣な光があった。
ミナトはその様子を見て、ふっと微笑んだ。




