第十節 失踪 ――前編:記録を辿る者たち 1
第一アジトの裏手、少し古びたコンクリートの階段を登りきった場所に、簡素な面談スペースがある。
鉄骨むき出しの梁とくすんだ蛍光灯、壁に沿って置かれた金属製の折りたたみ椅子と机。
人目につかぬ場所でありながら、話の機密性には十分な配慮が施されていた。
その部屋に、井尻康太郎という男が静かに入ってきた。身長178センチ、実年齢は不明だが、風貌は40代後半ほどだろうか。機械人類特有の無駄のない動きの中に、どこか人間味を残した柔らかさがあった。
釣りやウォーキングを日課としているというその体型は、鍛え抜かれているというよりは、自然に整えられた輪郭をしている。
控えめな笑みと、しっかりとした眉が印象的なその表情は、あくまで穏やかで、レオたちに敵意を感じさせることはなかった。
「私は井尻康太郎と言います。統合隔離観察施設監視部で部長をしておりました。カミーユという少女の件で……是非、大川戸氏にお伝えしたいことがございます」
控えめな口調でそう言った男の言葉を、まずエイジが聞き取り、短く頷いてから通信端末を手にした。
「レオさん。来客です。以前話してくれたカミーユという女の子と関係しているらしい」
呼び出しに応じて、レオがミナトを伴って現れたのは、それから数分後のことだった。部屋の中央、やや錆の浮いた鉄製のテーブルを囲んで、三人は向かい合った。
EMP放射が発生した当日、第七調整区画の隔離施設に詰めていた監視部員――井尻をはじめとする職員たちの名前は、レオたちが調査していた職員リストにも記載されていた。
しかし彼らは、情報漏洩の責任を問われ、すでに全員が州外の統一政府施設へと左遷されており、今まで接触がかなわなかった。
「隔離施設で監視部長をされていたそうですが、もしかして……あのとき、俺たちを助けて下さったのは、あなたですか?」
レオが切り出すと、井尻は静かに頷いた。
「監視システムに手を加えて、カミーユらの告発行為のアシストをしていた件であれば、あれは私の指示です」
「……あの時は、本当に助かりました」
レオが深く頭を下げると、ミナトも隣で同じように言葉を添えた。
「私たちが、あそこから出られたのはあなたのおかげです。心から感謝します」
井尻はわずかに表情を崩しながらも、すぐに首を横に振った。
「私も、政府のやり方には以前から疑問を感じていました。それで、あなた方の手助けをしただけです。礼を言われるようなことではありません」
レオはひと呼吸おいてから、ゆっくりと口を開いた。
「ところで……カミーユのことというのは?」
問いを投げかけられた井尻は、やや身を乗り出し、落ち着いた動作で姿勢を正すと、レオとミナトに交互に視線を向けながら、低く、しかし確かな口調で語り始めた。
「あなた方は、おそらく我々施設の職員が協力して、彼女を外に出したと考えておられるのではありませんか? しかし……事実はそうではありません」
「……どういうことですか?」
レオが険しい眉で問い返すと、井尻はそのまま彼の瞳をまっすぐに見据えて答えた。
「あなた方が情報漏洩に成功し、EMPが放射されたあの夜……我々は状況を見守っていました。敢えて動かず、成り行きを静観していた。すると明け方、施設長から通達があったのです。『カミーユ・ヴァレスがいなくなっているだろうが、心配する必要はない。彼女は自発的に出たのだ』と」
「……そんなはずはない」
レオは即座に首を横に振った。
「カミーユは、自分はあそこに残ったほうがいいって……そう言っていた。自発的に出たなんて、そんなこと、あり得ない」
「私もそう思いました。ですから、施設長に問い詰めました。あれはどういうことかと。すると……彼女は政府機関の人間で、人権侵害の実態調査のために施設に潜入していたエージェントだったのだ、と言うのです」
その瞬間、レオとミナトの目が同時に見開かれた。沈黙が一瞬、場を支配し、その後ミナトが静かに口を開いた。
「そんな作り話……あなたは、それを信じたんですか?」
井尻は困惑と諦念の混じったような表情を浮かべた。理知的な顔立ちに、わずかに陰が差す。
「すぐには信じられませんでした。しかし……彼女が入所してからの行動を思い返すと、妙に思える点がいくつもあった。夜間に個室を抜け出し、施設の構造を調べ、記録装置に接触していた。情報収集をしていたのは事実です。だから私には判断がつかなかった」
「……確かに、カミーユが情報を集めていたのは事実だ。でも、それをもって彼女を『潜入捜査官』と断定するには、あまりに飛躍がある」
レオが低く唸るように言った。
「ええ。だから、私は今日ここへ来たのです。施設長の言っていたことが真実なのか、それとも巧妙な偽装なのか……あなた方に知らせる責任があると思いました」
井尻は静かに、誠実さを込めた口調でそう言った。




