第九節 見捨てられた存在 1
数日後、レオの予言は現実のものとなった。
境界人全面攻撃計画は突如として中止され、〈スチール・イデア〉、〈ノア・アーク〉、〈オーバーコード〉の三団体は、それぞれが州内に持っていた支配地域外の拠点を次々と閉鎖。構成員たちは本拠地に撤退していった。
結果、飛霞自治州は大きく二つに割れた。〈ノー・エッジ〉の影響下に置かれ、武装暴動が鎮静化した地域と、超人類・トランス・ウルトラ・ヒューマン・機械人類が支配する地域——そこでは各勢力の利権が交錯し、主張がぶつかり合い、武装衝突が断続的に発生し続けていた。
しかも、それらの支配地域はモザイク画のように複雑に入り組み、地理的にも政治的にも境界が曖昧な混沌の様相を呈していた。
さらに数日が経ったある日。第一アジトの会議室にて、エイジは深刻な面持ちで新たな情報をレオとミナトに伝えた。
「レオ、ミナト。深刻な懸念がある。〈スチール・イデア〉、〈ノア・アーク〉、〈オーバーコード〉の三団体の間で、支配領域を巡る抗争が激化している。特に民間人の被害が深刻で、多くの死傷者が出ているとの報告が入っている」
レオは眉を寄せ、低く問いかけた。
「具体的には、どういう状態なんだ?」
エイジは資料を差し出しながら、説明を続けた。
「彼らは互いの支配地を奪い合うように、武装衝突を繰り返している。地域全体が戦場と化して、市民が巻き込まれている。しかも、補給線の破壊や封鎖によって、食料と医薬品の流通が断たれ、各地で人道的危機が深まっている」
ミナトは資料を読みながら、唇を噛みしめ、怒りをにじませた。
「彼らのイデオロギーの対立に、どうして一般市民が巻き込まれなきゃいけないの……こんなの、ただの虐殺と変わらない」
レオはしばらく黙考したのち、静かながらも力のこもった声で言った。
「俺たちは、非武装による融和を掲げてきた。直接介入は極力避けたいが……このままでは、犠牲になるのは罪なき民ばかりだ。まずは、被害の大きい地域に医療支援と食料供給を急ぐべきだ」
「了解した。すぐに支援物資の確保とボランティアの動員手配に入るよ」
そう頷いたエイジの目には、強い決意が宿っていた。
レオは続けた。
「同時に、三団体のリーダーたちに停戦を呼びかけ、和平交渉の場を設けるよう打診したほうがいい。可能性は低いだろうが、それでも試してみる価値はあると思う」
ミナトが心配そうに問いかけた。
「でも……もし彼らが交渉に応じなかったら?」
レオは静かに、しかし揺るぎなく答えた。
「市民の命を守るために、避難計画と緊急シェルターの設置を進める。俺たちの理念は変えない。武力ではなく、人道支援と対話によって、この破局を乗り越える」
ミナトとエイジは目を合わせ、深く頷いた。三人の間に、迷いはなかった。
〈ノー・エッジ〉は即座の支援活動を開始した。
結成から日も浅く、人員も決して多くはなかったが、それでも医療スタッフとボランティアたちは危険地帯へと赴き、負傷者の救護や食料の配布に奔走した。
無論、その多くは専門訓練を受けていない素人であり、高度な危険が予測される地域や、危険地帯を通過しなければ辿り着けない孤立地域には、どうしても手を伸ばすことができなかった。
それでも、支援を受けた住民たちは、彼らのひたむきな姿に心を打たれ、静かに涙を流した。
やがて、〈ノー・エッジ〉への信頼と支持は波紋のように広がっていった。すると、その信頼に応えるかのように、新たなメンバーや医療従事者、ボランティアが次々と加わり、支援活動の規模は拡大を続けた。
信頼が人を呼び、人が支援を強化し、支援がさらに信頼を生む――そうした穏やかで力強い好循環が生まれていった。
だが同時に、レオが送った和平交渉の提案は、三団体の耳には届いても、心には届かなかった。非武装・反戦を掲げる〈ノー・エッジ〉の言葉は、火薬と憎悪に染まった戦場では、あまりにも無力だった。
それどころか、三団体の争いは一層激化し、〈ノー・エッジ〉の影響が及ばない地域では、もはや“武装暴動”の域を超え、組織化された“内戦”へと変貌していった。




