第六節 境界人たちの夜 2
一方、統一政府は、メディア網を駆使し、政府が望ましいと考える世論形成の為の操縦を、強力に推進した。
仮想映像空間――かつてテレビと呼ばれた旧メディアの延長線上にある全天周報道スタジオでは、統一政府の公認識者と名乗る白衣の男が、静かな口調で告げていた。
『大川戸レオの思想は、我々人類の秩序を根底から揺るがす危険を孕んでいます』
彼の背後には、巨大な円形ホロスクリーンがゆっくりと回転しながら映像を映し出す。
映像の中央には、都市空間に遍在する、かつての「人種」等という概念を遥かに超越する違い―――肌理や質感の異なる外皮、人工骨格や神経強化処理を施された四肢、虹彩にデジタルリングが浮かぶ眼球――そんな多様な存在が一つの通路を共有しながら歩く姿が映し出されている。その群像の中心で、レオが演壇に立ち、言葉を紡いでいた。
だがその映像は、紫と青のノイズを帯びたフィルターで不穏に彩られていた。音声は機械的に歪められ、周囲の群衆の輪郭はわざと曖昧に処理されている。まるでそこに“正体不明の危機”が潜んでいるかのように、あたかも異常性を演出するかのように――映像全体が、暗黙の警告として視聴者に作用するよう印象操作されていた。
別の局では、スーツを着た社会学者風の人物が、プレゼンテーション用アバターを使って出演し、グラフとチャートを提示しながら、こう語っていた。
『“越境体”……つまり、従来の人類種を横断した存在の台頭は、既存の社会構造を根底から瓦解させかねません。アイデンティティの不明瞭さ、所属のあいまいさ、規範の再定義。これらは社会的不安定性を加速させ、コミュニティの分断を助長する温床となるのです』
彼が示すスライドには、複数の都市における“分類不能人口”の増加率や、アイデンティティ形成に悩む若年層の精神不調の統計、さらに越境体の登場後に発生した小規模暴動や対立事件が「関連性あり」として赤字で強調されていた。
SNS広告には、さらに過激な言葉が散りばめられていた。
『純血性の喪失は、人類進化への背信行為だ』
そんな文言が、血のように赤いフォントで、目に痛いほど鮮やかなコントラストとともに表示され、タップすれば“ノア・アーク”や“スチール・イデア”の公式チャンネルへ誘導される。内容は単純だ。純化、維持、選別――つまり、「不要な融合は、淘汰せねばならない」という論調である。匿名のナレーションが流れるなか、映像ではレオに似た外見の人物が群衆の中で暴れるCGが挿入され、その後に平和な家族像がコントラスト的に映し出される。演出意図は明確であり、恐怖と嫌悪の刷り込みが目的だった。
音声アシスタントのアルゴリズムにも、それらの語彙は静かに紛れ込んでいた。「今日のニュースは?」と問いかければ、「最近の越境体関連の治安事件」として、真偽不明のゴシップや誇張された数字が淡々と読み上げられる。無自覚のうちに耳へ届くその情報は、あたかも無機質な事実のように振る舞い、利用者の思考に“違和感”や“警戒”を刻み込んでいく。
こうした言説の拡散には、三つの主要勢力が裏で糸を引いていた。
一つは、機械人類の純血主義団体〈スチール・イデア〉。人間の肉体的限界から脱却した存在・機械人類こそが進化の終着点であると信じて疑わず、「混交」を「退化」と断じていた。
一つは、超人類の優生派団体〈ノア・アーク〉。彼らは遺伝子の純化と知性の洗練を掲げ、「交配による特性の希釈」を厳しく糾弾し、「遺伝子の秩序こそ未来を保証する」と主張する。変異体の存在を不要と断じ、忌避していた。
そして最後に、現生人類の排外的団体〈人類保護同盟〉。彼らは自らの存続を脅かす“新種”の台頭に恐怖し、「現生人類は最後の自然人類」と位置づけていた。「人間らしさ」を守ることを大義とし、「人工的干渉による変種」はすべて異端だと訴える。
これら三勢力が、異なる思想のもとに奇妙な協調を見せ、“境界個体”レオの存在を標的に言語を繰り返し投下する。その言葉は、ニュースの合間に、広告の隅に、娯楽番組の皮を被って差し込まれ、やがて日常言語の内部に溶け込んでいった。
「混ぜるな」
『戻れないなら、排除しろ』
『越えてはならぬ線がある』
それらの言葉は空気のように漂い、都市の呼吸器系へと入り込み、やがて暴力という咳を吐き出しはじめる。




