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後編

 それからは穏やかな日が続いた。

 夫であるライナルトは将軍として戦後処理に携わっていたようだが、彼もまた平民からの成り上がりでしかなく。

 高度な政治的処理を伴う部分は、そう言ったのが得意な副官を始めとした貴族連中に任せていると言っていた。

 一応功績を認められ子爵位を賜ったらしいので、ライナルトも貴族の端くれだと思うのだが……? という疑問は口に出さないでおく。

靴屋は靴型に留まる(餅は餅屋)』というものだろう。

 ライナルトの屋敷の人間もできた者達ばかりで、つい最近まで戦っていた敵国の捕虜、それも王族の証である黒髪と深紅の目をした得体のしれない女を、女主人として仰ぎよく仕えてくれる。

 それは、私が生まれてこの方過ごしたことのなかった平穏な日々であった。

 寝首を掻かれる心配をすることなく、屈強な夫の腕の中で安らかに眠れる日々を過ごすことができる。

 誰にも興味も愛情も向けられることのなかった私に溺れるほどの愛情を向けてくれる夫に絆されないわけもなく。

 

 あぁ、これが幸福か……と。

 私の一生で得られるはずもなかった時を手に入れた幸せに、存分に浸っていた。


 だから......慢心していたのかもしれない。


 こんな平和な日々がいつまでも続くのだと……。





「裏切り者は死ねっ!」


 

 屋敷の庭でライナルトと散策していた時にそれは起こった。

 庭に植えられた、もうすぐ真白い花が咲くという木を二人で見上げていた時だ。

 生垣をかき分けこちらに駆け寄ってくる黒い影。

 近づいてきた事で、薄汚れた襤褸を纏っているから黒く見えただけでれっきとした人間であることが分かった。


 分からないのはその言動……だけのはずだった。


「敵国の将軍に股を開いて取り入った阿婆擦れがっ! 死ねっ! 死んでしまえっ!」


 暴漢が手に持っていた匕首(あいくち)を振り上げた拍子に、頭に被っていた布がずれ相手の顔があらわになった。


「っ!? 兄上……か?」


 疑問符がついてしまうのも仕方ないだろう。

 私が将軍としての命を授けられた時に一度会ったきりなのだから。

 だが、特徴的な紅眼は見間違えようもない。


「しょせん、下劣な平民の血が混じった女! 異母妹などとはなから認めてはいなかったが! 自らだけ助かろうとは厚顔にも程がある!

 死ねっ! 金獅子将軍もろともここで私に首を差し出すがよいっ! この裏切り者がぁぁぁぁ!!」


 ぶんぶんと大振りに匕首を振る兄らしき人物を見て、そう言えば後継者である兄は武術の訓練を免除されていたなと詮無い事を思い出す。

 翻って私は女子供には厳しすぎる血反吐を吐くような訓練を課されていたが。

 それが戦場で何度も己が身を助けたのは皮肉なものだ。

 私の身を背に庇おうとするライナルトを引き留め、むしろライナルトを庇うように前に出る。


「コーリン?」


 生まれ育った国のものとは少しだけ違うイントネーションで私の名前を呼ぶのは……愛しい夫だ。守るべき人だ。

 だからこそ……夫の身を危険に晒すわけにはいかない。

 この決着は……私自身が着けなければならないのだ。


「しねぇぇぇ!!」


 私と同じ黒髪を振り乱し、私と同じ深紅の瞳を血走らせ、匕首を振りかぶってくる男。

 それを軽くいなして、手首に手刀を叩き込めば、呆気なく匕首は芝の上に落ちていった。


 それをライハルトの方に蹴飛ばしてから、手首を押さえて座り込む男に向き直る。


「紅鈴っ! きさまぁぁぁ!! この兄にッ! 手をあげるかぁぁぁ!!」


 興奮のせいか、目を見開き過ぎたせいでどこかの血管が切れたのか、血の涙を流しながら兄だった人が私を睨みつける。

 それを見ても……心は凪いだままだ。


 一度も兄らしいことをしてもらった記憶は無い。

 声を掛けてくれたことも。むしろ名を呼ばれたのすら今が初めてのような気がする。

 そんな相手に肉親の情が湧くはずもない。

 なんだったら、共に戦場を駆けた兵たちの方がよほど親しい。

 所詮、そんな間柄でしかない相手だ。


 だからこそ。

 どこまでも。

 非情に。


 

「貴族の屋敷に忍び込んだ平民は問答無用で処刑と決まっております。

 ……連れていってください」


 様子を窺っていたこの家の護衛達へ無情に告げれば、兄の目がますます見開かれた。


「兄をっ! 血の繋がった兄を助けようとは思わんのかっ!?」


 先程までとは全く逆の、今更肉親の情に縋るような戯言を宣う男に冷たい一瞥を投げる。


「夫の命を狙う者など、すべからく私の敵です。あと私に……兄などおりません。

 私はコーリン。コーリン・リーフェンシュタール。私の家族は夫と……この屋敷の者達だけです」


 きっぱりとそう告げれば、兄だった人の顔が絶望に染まる。

 いやむしろなんで私が助けると思ったのか。


 ……ライナルトに捕虜として捕まった時の戦で、私に死ねとばかりに配下の人間を紛れ込ませて失態を誘っていたことに気づいていないとでも思ったのだろうか。


「連れていってください」


 もう一度告げれば、屋敷の護衛達が動いた。

 いささか乱雑に扱われる兄だった人は……この国の法で裁かれて、呆気ない最期を遂げるのだろう。


 ふっとため息を吐けば、背後から抱き込まれた。


「……旦那様?」


「俺を……家族と認めてくれるのですね」


 思いがけない呟きに、思わずライナルトの顔を仰ぎ見る。


「当たり前だろう? むしろ今まで私のことを何だと思ってたんだ? 私は旦那様の妻じゃなかったのか?!」


「……無理やり貴女を手籠めにした自覚はありましたので……」


 苦笑を浮かべるライナルトの腕を掴む。ぐっと力を入れて……。


「そんな訳ないだろう。旦那様は私の大事な……旦那様だ……だから......」


 ひゅんと空気を切り裂く音と同時に、ライナルトの腕を思い切り引っ張る。

 油断していたライナルトの身体と自らの身体の位置を入れかえれば……。

 私の背中に吸い込まれるように刺さる一本の矢。


「コーリンッ!? ――――!!!!」


 強い衝撃に私の身体が傾ぐ。

 鏃に即効性の毒でも塗ってあったのか、ライナルトの絶叫を耳にしながら私の意識はあっという間に暗転した。




 


『それは捨ておけ』


 大きな男に、逆光のせいで顔も定かでない男にそう告げられた私は……生きることを諦めた。

 後にその男が、一国の王であり自分の父親だとわかっても、何の感慨も浮かばなかった。

 それは名ばかりの将軍職を押し付けられ、暗に戦場で死んでこいと言われた時も。


 あの日会った少年に同じ言葉を掛けたのは本当に気まぐれだった。


 ただ……。


 敵兵に囲まれても生きる気力を失っていなかったあの金の瞳に、この言葉を掛けたらどう変化するのだろうという純粋な興味だった。

 もちろん、立場も状況も違う。

 あの場においては捨ておかれることこそがあの少年の生の道に他ならなかった。


 だから。


 私の言葉に、ギラギラと金の瞳を輝かせ、貪欲に生を掴もうとするその少年に……。

 あの時から心奪われていたのかもしれない。


 だから......。


「……リンッ!? コー……! ……コーリンッ!?」


 少しだけ違和感のある、それでも聞きなれたイントネーションで私の名前を呼ぶのは……。


「……だん……な……さま?」


「コーリンっ?!」


 カサカサに乾いていた唇を湿らせ、なんとか(いら)えを返せば、きつくきつく掻き抱かれた。

 その温もりに……ほっと息を吐く。


「よかった……よかった……」


 肩口にじんわりと広がる濡れた感触に、金獅子将軍を泣かせてしまったと苦笑が漏れる。

 なかなか力の入らない腕を無理やりに動かして、随分としょぼくれてしまった夫の背中に回す。

 腕の中に在る温かなぬくもりに、ほっと息を吐く。

 今まで抱きしめたことも抱きしめられたこともなかった。

 愛されることなど夢のまた夢で、愛を得られる前に死を得られると思っていた。

 だけど今……この腕の中には、私の無事を、生を泣いて喜んでくれる愛しい人が在る。


 あぁ、ここが私の生きる場所だ。

 

 奥様は目覚めたばかりですので……と医者が止めに来るまで、私はそのまま泣き濡れる夫を抱きしめ続けていた。




 後日。

 良い笑顔で現れた夫の副官殿が、事の次第を教えてくれた。

 どうやら、母国で発見された兄の死体は偽物だったらしい。側近であった男に兄の服を着せ、ズタズタにして判別を難しくして死を偽装したそうだ。

 さらには、そんな工作を施して落ち延びていた兄をこの国に引き入れたのも、夫の屋敷に引き入れたのも、全ては夫の活躍を快く思っていない派閥の人間だったそうだ。あと、夫にフラれたご令嬢の逆恨みもあったそうだが……。

 兄が成功すれば重畳、失敗したとしても兄の引き起こした混乱に乗じて侵入した暗殺者が手を下す手配になっていたそうだ。

 それがあの毒矢だったらしい。

 そして兄も、矢を放った暗殺者も、ついでに色々画策してくれた貴族すらも、夫の……というか夫の副官殿の手によって罪を暴かれ、その命は既にないという。

 というか副官殿はいったい何者なんだ?

 その疑問が顔に出ていたのか、苦笑気味に副官殿が教えてくれたことによると、副官殿はこの国の高位の貴族家出身らしい。

 本来は将軍職に就くべき人物だったが、夫の方が兵を率いるカリスマ性に秀でていたこと、自分は表立ってではなく裏で策を弄するのが好みであったことから、言い方は悪いが、夫を矢面に立たせて色々と暗躍する立場になっていたそうだ。

 夫を『金獅子将軍』として偶像化したのもこの人の作戦のうちだったらしい。

 そんな面倒なことを引き受けさせるための『餌』が『紅蓮姫()』だったと聞かされた際には面はゆいやら、そんなことで危険な役目を引き受けた夫に呆れるやら、自分でも微妙な表情を浮かべてしまった。


 ただ本音としては。


 そこまでして望まれると言うのも、悪い気はしないどころか……。

 生まれてこの方誰にも生きることを望まれていなかった私にとって、重たくて暑苦しいほどの夫の愛はむしろ心地よいほどで。


「それは……嬉しいことだな」


 とうっかり答えてしまえば、副官殿に呆れられてしまうのも致し方ないのだろう。


 未だ夫に寝台から出ることを許されていないこの身を、ふんわりと窓から忍びこんだ風が撫でていく。

 そちらに視線を向ければ、窓の外には満開の白い花を咲かせた木が立っていた。


「……あぁ、咲いたのか……」


 ぽそりと呟けば、副官殿の視線も誘ったのか、得心したような声が返ってきた。


「あぁ、あの木ですか……。あの花は……まるで貴女のようだと常々ウチの上官が惚気ておりましてね……」


「……は?」


 今なんと?

 

「ほら……あの花、真っすぐ上を向いているでしょう?

 女人の身ながら将軍として兵を、民を率い、真っすぐに立つ貴女のようだと……。いつか一緒に花を見たいと……。

 だからあの人がこの屋敷を手に入れた時真っ先にしたことは……あの木を植えることでしたねぇ」


 結構純情なんですよ? あの人。


 そう微笑んで部屋を後にする副官殿と入れ違いで入ってきたのは……ライナルトだった。


「……どうしました? 顔が赤いですが……?! まさかまた具合が?!」


 慌てて私の頬に触れるライナルトの手を必死で押しとどめる。


「いや……ちがっ! そうじゃなくて……!」


「ではどうしましたか? まさか!? ウチの副官が不埒な真似を?!」


「いやそれも違っ! きっかけは確かにそうなんだが……!!」


「じゃあいったい何が貴女をそんなに……?」


 一転して不安そうな顔になった夫の顔をじっと見つめる。


「……あの白い花が……な」


 私の声に促されるようライナルトの視線が窓へと向けられた。


「……あぁ、咲いたのですね。……副官から何か聞きましたか?」


「……旦那様が……あの花を私のようだと……。

 あんな真っ白で大輪の美しい花、私とは似ても似つかないんだが?!」


 羞恥とかなんとか色んな感情で頬が熱くなる。

 そうだ。そもそも黒髪紅目の私が、あんな真っ白な花に似ているなど烏滸がましいのではないか?


「あの花は……貴女にそっくりです。どんな時でも凛と立つ貴女に……」


 金の瞳を優しく眇め、そうきっぱりと告げる夫の言葉を……安易に否定する事など私には出来なかった。


「……そうか」


「えぇ。そうですよ。俺にとって貴女はとても眩しくて……それでも手に入れたかったんです。

 だから今……俺の腕の中に貴女がいる喜びはいかほどか……」


 緩く抱き締められ、自分とは違う熱に、香りに包まれる。

 顎を掴まれて上向かされれば、そこには獲物を狙う金の瞳があった。

 ゆっくりと近づいてくるそれ()に促されるよう目を伏せて、唇に自分以外の熱を感じながら……私は幸せを噛みしめたのだった。



最後までご覧いただきありがとうございました。

ご評価、お星様、ご感想、いいね、レビュー等々お待ちしております。


雰囲気中華風ヒロインと、雰囲気西洋風ヒーローのお話でした!

とりあえずヒロインの兄はゲスです。

あと最後に出てきた白い花はハクモクレンをイメージしております。

凛と上を向いて咲く真っ白い花にヒロインを重ねていただければ幸いです。


改めて、最後までお読みいただきありがとうございました!

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