究極のゲーム
藤岡春斗は去り際に「お二人でどうぞ」と言って、プリンをご馳走してくれた。
ココアスポンジが土台になっていて、固いプリンが崩れることなく直立している。
正式名はブラジルプヂンというそうで、日本の軟弱なプリンとは違って、ブラジルのプヂンは自立しているのが普通なのだという。
つばめがひとりで完食していたプヂンを姉妹で分け合うと、お姉ちゃんがうっすら微笑んだ。
「ハバタキでは、社長にこのプリンを奢ってもらったらアニメーターとして一人前なんだって」
「へえ、そうなんだ。つばめは一口もくれなかったけど」
つばめはスタジオ見学に行ったきり、戻ってくる気配がない。
プヂンを食べ終わるまでに戻ってこなければ、そのまま捨てていこうと思った。
店内は何人かの客が入ってきて、コーヒーの芳香が漂ってきた。
「コーヒーって、いい匂いだよね」
砂糖とミルクがないと苦くて飲めないけど、そのうち美味しく飲めるようになりたいと思う。お姉ちゃんと向き合って食べたプヂンは、これまでに食べたプリンのなかで、もっともハードな食感だった。個人的にはもうちょっと柔らかいほうが好きだが、これはこれでいい。
「アルティメットって、どんなスポーツなの?」
一服してから、お姉ちゃんが言った。
「フィールドの広さは縦100メートル、横37メートルで、サッカーグラウンドの横幅を三分の二ぐらいにした感じかな。バスケコートと比べると、相当広い。サッカーは十一人だけど、アルティメットは七人対七人で行うの」
フィールドの広さがイメージできないのか、お姉ちゃんは黙って聞いていた。
「フィールドの両端18メートルがエンドゾーンで、フライングディスクを落とさずにパスをして運び、エンドゾーン内でディスクをキャッチすれば得点になる。アメフトのタッチダウンみたいな感じかな」
「だからバスケとアメフトを合わせた競技なのね。ディスクを持って走ってもいいの?」
「ディスクは投げるだけで、持って走るのはダメ。パスをキャッチし損ねたり、サイドラインを割ったり、相手にインターセプトされたら攻守交替。パスを受けたら三歩以内に止まって、十秒以内にパスしなければダメ」
「三歩歩いちゃダメって、バスケのトラベリングみたいなもの?」
「そうなの。反則名も同じだし、そこらへんはバスケそっくりなんだ」
バスケでは三歩歩いたらトラベリングという反則になるが、それはアルティメットも同じだ。
「ディスクをキャッチしたあとは一歩も動いちゃダメだけど、ピボットはしてもいい」
軸足がずれたり、フィールドから離れたりしなければ、反対足を何度踏み変えてもいい、というのがピボットという技術だ。くるくる身体の向きを変えれば、ディフェンスを欺ける。
「いろいろとバスケっぽいんだね」
お姉ちゃんがにわかに興味を示した。
「試合時間とか、得点はどう数えるの?」
「敵陣のエンドコートでキャッチしたら一点。試合形式は大会ごとに異なるけど、時間制だと九十分制とか四十分ハーフ制とかで、ポイント制だと、十七点先取とかみたい」
ブラジルプヂンを食べ終えたお姉ちゃんは、ナプキンで口元を拭った。
「アルティメットなんて競技、知らなかったな。アリサはよく知っていたね」
「犬用のフリスビーを探していたときに、たまたま知ったんだ」
パピヨンを飼い始めてすぐ、「あるてぃま」の名前をまだ付けていなかった頃、公園で飼い主がフリスビーを投げて、犬が咥えて戻ってくる、ごくありふれた光景に目を奪われた。
ああいうのをやれたら楽しそうだな、と思って小型犬用フリスビーをネットで探していると、フライングディスク競技を特集したページに行きついた。
日本での競技人口はまだ五千人といった程度で、マイナースポーツゆえに国内での知名度は高くないが、競技発祥の地であるアメリカではプロリーグも発足しており、国際総合競技大会『ワールドゲームズ』の公式種目にもなっている。
大学生や社会人になってから競技を始める選手が多いが、日本代表チーム『疾風ジャパン』は世界トップレベルの実力を有している、とも記されていた。
「アルティメットは身体接触禁止で、自己審判制なの」
「審判がいないの?」
お姉ちゃんが驚きの声をあげた。
バスケにせよ、サッカーにせよ、アメフトにせよ、野球にせよ、審判がいるのが当然だ。
審判がいないのにどうやって適切に試合を進行するのか、疑問に思ったのだろう。
「フィールド上の選手は、競技者であると同時に審判でもあるの」
「選手が審判を兼ねたら、自分のチームに有利な判定をしたりもできるんじゃない?」
「いかなる選手も意図的にルールを破ることはない、というのが前提で、『スピリット・オブ・ザ・ゲーム』という各選手のフェアプレーに対する責任感の上に成り立っている。この精神があるからセルフジャッジ制が成り立つわけ」
身体接触はファウル、その他の反則はヴァイオレーション、 反則のコールに対して異を唱えることをコンテストという。
あくまでもセルフジャッジのため、各選手がルールを熟知していなければならず、揉めた場合は反則の起こったひとつ前の状況に戻るワンバックというルールも存在する。
「身体接触が禁止されているから、フィールドスポーツでは珍しく男女混合での試合もできて、男子、女子、男女混合の形式がある。子供でもできるし、お年寄りもできる」
お姉ちゃんの目の色がだんだん変わってきた。
そろそろ駄目押しかな、と思いつつ、畳みかけるように言った。
「広場とフライングディスクさえあれば気軽に始められるから、入り口のハードルはものすごく低い。試しにお姉ちゃんもディスクを投げてみたらいいよ、楽しいから」
きっぱりバスケを辞めて、アルティメットに転向しなよ、とは言わない。
それを決めるのはお姉ちゃんだから、私はバスケ以外の選択肢を提示するだけ。
あるてぃま相手にバックハンドスローのコソ練をしていて、お姉ちゃんにいつ切りだそうか、タイミングを見計らっていたけれど、バスケへの未練はきっと消えやしないだろうから、今だと思ったそのときが絶好機だ。
私が投げたディスクを、お姉ちゃんがキャッチしてくれたら、それ以上に嬉しいことなんてない。お姉ちゃんと同じフィールドに立てたらと思うと、想像するだけで胸が弾む。
お姉ちゃんは水を一口飲むと、わずかに首を傾げた。
「ひとつ、聞いてもいい?」
「なんなりと」
「どうしてアルティメットっていうの」
フライングディスク競技には、アルティメット以外にも、ガッツ、ディスクゴルフ、フリースタイル、ダブル・ディスク・コート、ディスカソン、ディスタンス、アキュラシー、セルフ・コート・フライト、ビーチアルティメット、ドッヂビーといった種目がある。
そのなかでも様々な能力を要求されることから「Ultimate」と名付けられた。
「走る、投げる、飛ぶ、あらゆる要素の詰まった究極のゲームだから」
「へえ、そうなんだ」
疑問が氷解したらしいお姉ちゃんは、おもむろに立ち上がった。
「そろそろ行こうか」
「うん」