言葉が人間を作るのだ
お姉ちゃんは初等部の頃から天才的にバスケが巧かったけれど、さして努力家ではなかった。
どちらかといえば、私やつばめと同じように、感覚的にプレーしている選手だった。
バスケに対してことさらストイックになった契機は、中等部一年生の頃に遡る。
新入りの一年生が先発選手に選ばれたことに対してやっかみもあったし、非難の声もあった。
監督は部員全員を集めて、こう言ったそうだ。
「虎は虎のまま使う。学年は関係ない。試合に出たければ、実力、練習態度、それから普段の生活態度も含め、誰からも文句を言わせない選手になれ」
それは強烈なメッセージだった。不満のある上級生らをたちどころに黙らせ、羽咲エリサを孤高の高みへと向かわせる、あまりにも鮮烈な言葉。
監督の言葉を綴ったお姉ちゃんの修養日誌を読み、自然と背筋が伸びた。
言葉が人間を作るのだ、と思い知った。
監督の言葉を素直に血肉としたお姉ちゃんは、ひそかにこう綴っていた。
――私は虎だ、虎でなければならない。
――チームの代表としてコートに立つ以上、虎でなければならない。
実際のところ、お姉ちゃんは中等部、高等部の六年間を通じて、努めて虎であり続けた。
でも、お姉ちゃんの本質は虎ではなく、あるてぃまのようなパピヨンなのだ。
賢くて、可憐で、高貴だけれど、小さくて脆い。
虎であろうとして、今まで無理を重ねてきたのだ。
あの日のブザービーターのせいで牙を抜かれた虎のようになってしまったが、虎であるべし、と自らにかけた呪いが解けた、と解釈することもできるかもしれない。
パピヨンは、フランス語で「蝶」という意味である。
虎は空を飛べないが、蝶は空を舞うことができる。
「地上を離れても、お姉ちゃんならきっと大丈夫だよ」
はたして、そう言って良いものかどうか。
私は、私の言葉に責任が持てない。
言葉が人間を作るのだ、と思い知ってしまったから。