決勝戦
弓様がスローオフし、早実スーパーソニックスとの決勝戦の火蓋が切って落とされた。
ディフェンススタートの鎌倉アルティメット・ガールズは連戦の疲れも見せず、勢いよく飛び出した。寝起きのため足元がちょっとふわふわしていたけれど、走っているうちにだんだん集中してきた。
鎌倉アルティメット・ガールズと早実スーパーソニックスは似た者同士のチームで、どちらも全体的に小柄だ。お姉ちゃん級の長身選手は10番のみ。23番と6番のハンドラーコンビがほとんどの得点に絡んでおり、よく走るし、パスも上手い。
23番にはアリサ、6番にはつばめ、10番にはお姉ちゃんが対峙する。
アルティメットは基本的にオフェンスをキープするゲームだ。
この試合も序盤は0対1、1対1、1対2、2対2、2対3、3対3、とオフェンスキープで進行した。ディフェンススタートの際にいかに破るかが試合の勘所で、ファーストブレイクをしたチームが優位に立つ。
色の濃いサングラスをかけた23番が小気味よくパスを回しているが、粘り強く守って攻守交替となった。
6番がわずかに戻り遅れた隙を見逃さず、アリサはつばめへパスを供給する。
エンドゾーンへ走り込んだつばめが余裕でキャッチし、ファーストブレイクを果たした。
4対3となり、この試合初めてのリードを奪った。
「つばめ、ナイスキャッチ!」
「ふはは、天才!」
つばめを取り囲んで得点の喜びをすると、チームのムードはどんどん上げ潮になっていく。
試合半ばの二十五分に加点し、その後一点を返されたが、四十分に追加点。
スコアは6対4となって四十五分が経過し、タイムキャップを迎えた。
決勝点は8点。
崖っぷちのスーパーソニックスはタイムアウトを申請して、七十五秒間だけ試合を止めた。
スーパーソニックスのメンバーが輪になり、作戦ボードを持ったコーチを囲んでいる。
このギリギリの状況からどんな作戦を講じてくるのか、なんとなしに不気味に映った。
「もう余裕っしょ」
つばめはすでに勝利を確信したのか、早くも小躍りしている。
ここまでは理想通りの展開だが、勝負は下駄を履くまで分からない。
どことなく緩んだ空気が気掛かりで、アリサは声を張り上げ、気を引き締めにかかった。
「あと二点! このまま勝ち切ろう!」
声をかけたものの、守備面で具体策はなかった。とにかく走る。足を止めない。
しかし足はもうパンパンで、あとはもはや気力しかない。
体力的に限界が訪れていたのはアリサだけではなく、余裕しゃくしゃくを装っているつばめ以外、皆が辛そうだった。麻乃は今にもぶっ倒れそうだし、ミシェルはとっくにへろへろだ。寝癖じみたふわふわのブロンドは、大量の汗のせいですっかりぺしゃんこになっている。
モッティーはそんなにジャンプしていないにも関わらず、腰を押さえて辛そうだ。
弓様はいつも通りに涼しい顔をしているけれど、呼吸は荒く、肩で息をしている。
つばめにしたってただのから元気で、よく動くのは口だけだ。足はすっかり止まっている。
無尽蔵の体力を誇っているかに見えるお姉ちゃんですら、六人のカバーに走り回っていることもあって、さすがに疲れの色が垣間見えた。
タイムアウトが解けて、スーパーソニックスの攻撃から試合が再開した。
6番はこの終盤になってもほとんど運動量は落ちず、つばめはあっさりと振り切られた。
23番から6番を経由し、長身の10番がエンドゾーン奥へと走り込んだ。
攻撃方向への風が吹いていたせいでディスクがわずかに流れ、あと一歩というところで届かなかったが、これがもしも逆風だったら間に合っていただろう。
お姉ちゃんは10番から離れ、6番へのパスの横取りを試みたが、失敗に終わった。守備者から自由になった10番はエンドゾーンへと走り込み、もう少しで得点するところだった。
「ごめん、私のせい」
お姉ちゃんが反省の弁を口にするが、あれは紙一重だった。
謝るならば、あっさりと出し抜かれたつばめの方だろう。
「ううん、ナイスディフェンス」
ディスクを拾ったアリサが攻撃を再開するが、お姉ちゃん以外の足が止まっていては前へ進めない。じりじりと後退させられ、自陣エンドゾーン付近まで下げられた。
局面打開のために弓様へ渡そうとしたところを23番に狙われた。
ディスクが浮いたところへ飛びつかれ、そのままキャッチされた。
ゴール内での直接キャッチ――キャラハンゴールと認められれば、一気に苦しくなる。
23番が飛びついた場所がエンドラインの外側であればノーゴールだが、ライン内であればゴールとなる。どちらとも言えない微妙なところであるが、自己審判制のアルティメットではこういった部分も自分たちで裁かねばならない。
「……ゴール?」
アリサが周囲に意見を求めるが、反応はまちまちだった。
つばめは「ノーゴール!」と主張し、お姉ちゃんは「分からない」とばかりに首を横に振り、23番と6番は「ゴール」を主張した。スーパーソニックスの控えメンバーはすでに得点が認められたものと思っているのか、大いに盛り上がっている。
ついつい自チームに有利な判定になるよう主張したくなるが、それはスピリット・オブ・ザ・ゲームの精神に反する。
選手と審判の二役を兼ねるアルティメットではいかなる局面であれ、公平中立なジャッジをしなければならない。
しかし選手としてフィールドに立つ以上、その意見が完全に客観的とは言い切れない。
セルフジャッジを高い水準で実行するため、第三者として意見を呈するゲームアドバイザーというスタッフがいる。
あくまでもアドバイザーであり、その意見は絶対ではなく参考意見である。
最終判断はフィールド内の選手たちで決めることになる。
重要なのは、お互いが納得する判定であるかどうかだ。
選手間での意見が一致しなかったため、フィールド外のゲームアドバイザーに意見を求めた。
ゲームアドバイザーは得点が決まったときは両手をまっすぐ上に伸ばして、ゴールのハンドサインを示す。しかし、今回はそのハンドサインを出してはいなかった。
「ゲームアドバイザーの判断はノーゴールのようですけど」
アリサがそう主張すると、さして揉めることもなくノーゴールという結論となった。
危うくキャラハンゴールをお見舞いされるところだったが、ピンチであるのは変わらない。エンドゾーン手前からのスタートとなり、スロワーは23番ではなく、6番が務めた。
てっきり23番がスローするものだと思っていたので、意表を突かれた。
軽く手首をスナップさせただけのクイックスローが渡り、あっさりと得点された。
これでスコアは、6対5。
追い上げムードのスーパーソニックスは大盛り上がりだが、鎌倉アルティメット・ガールズは勢いに飲まれて、すっかり意気消沈していた。
「ごめんっ!」守備を怠ったアリサが平謝りする。
「いいよ、取り返そう」
お姉ちゃん以外はほとんどへばっていて、相手のスローオフ前にエンドゾーンに並ぶ足並みに疲れの色が滲み出ていた。アリサがディスクを拾い、中盤でパスを回したが、思うように足が動かない。つばめへのパスがほんの少し乱れ、ディスクが地に落ちた。
フィールド中央で攻守交替となり、23番が素早くゲームを再開する。
6番はつばめのマークなど物ともせずに縦横無尽に動き、23番からのパスを引き出した。どこからともなく2番がエンドゾーンへと這入りこんでいて、6番からのパスをジャンピングキャッチした。2番はモッティーのマークだったはずだが、もう付いていけていない。
わずか三分間での同点劇で、余裕の展開だったはずが一気に苦しくなった。
「悪い……」
モッティーが消え入りそうな声で謝るが、沈んだムードが変わることはない。
すべてが上手くいっていたときは連戦の疲れなどほとんど感じなかったのに、いちど歯車が狂い出すと、身体の奥底からどっと疲れが噴き出してきた。身体が鉛のように重い。
23番のスローオフは、エンドゾーンぎりぎりまで届こうかという抜群の飛距離だった。
早実スーパーソニックスはここが勝負所だとばかりに猛ダッシュしてきた。
日本代表『疾風ジャパン』に赤子扱いされた悪夢がオーバーラップする。
激流に飲み込まれてあっぷあっぷのアリサは、すっかり冷静な判断力を失っていた。
不用意なパスをカットされ、一気にカウンターを食らった。走り込む10番へパスが渡り、ゴールまであと半歩という所でキャッチ。ふわりと浮かせただけのショートパスが6番へ。
ゲームアドバイザーは両手をまっすぐ上に伸ばし、ゴールのハンドサインを示した。
三連続失点し、6対7と追い込まれた。
決勝点は8点のため、次に失点すれば敗北が決定する。
エンドゾーンに集合した皆は、「もう終わった」という諦めの表情だった。
チームを率いる主将ならば、こういうときにどんな言葉を吐くべきかなどと考えもしたが、今の素直な気持ちを吐き出すことにした。べつに私はこのチームを率いてなんかいない。
格好つける必要なんてないし、惨めでもいい。情けない弱音を吐いたっていい。
「みんな、疲れてる? 私はめっちゃ疲れてる」
アリサが軽い調子で言うと、敗色濃厚の空気がどことなく和らいだ。
幽霊みたいに青白い顔をした麻乃がゆっくりと挙手した。私も疲れています、というつもりなのだろうが、ここは教室でもないのにいちいち手を上げるところが律儀で笑えてくる。
「死ぬ……」
疲弊しきったつばめがドリンクボトルを握りしめながら言った。
「そうだね、死んじゃうね。でもこのまま死んだら悔いが残るから、次の一点を取って死のう。疲れてるのは相手も同じだよ。全力で走って、全力でやり切ろう」
「マジで死ぬ……」
つばめはゾンビのように、あー、あー、と唸っている。
この試合に勝つためには、まず同点に追いつかねばならない。
その上で相手の攻撃をブレイクし、さらにもう一点を取らねばならない。
つばめ風に言うならば「無理ゲー」だ。
しかし、この試合に勝つかどうかはもうどうだって良かった。
「ハバタキ杯で疾風ジャパンと試合したよね。最後に一点取ったら勝ち、一点取られたら負け、という状況になったけど、今もそういう状況だと思おう。次の一点を取ったら私たちの勝ち!」
アリサが勝利条件の変更を提案すると、つばめが腹を抱えて大笑いした。
「なんだよ、その俺ルール」
「仮想疾風ジャパンと思ってさ。次の一点を取ったら勝ち、というゲームだよ。どう?」
「賞金出る?」
「知らん。必殺技が格好良く決まればアニメになるかも」
「ほほう」
死にかけていたつばめの顔にみるみる生気が戻ってきた。
「そんじゃ、いっちょうやってやりますか」
「蟻のように一歩ずつ、地道に前進」
アリつばコンビと最終兵器お姉ちゃんの共演を披露するには、またとない舞台だ。
スローオフを待つ間、つばめとこつんと拳をぶつけ合った。
ハバタキ杯で完遂できなかった三角形を実行する。
やるべきことが明確になったら、疲れた身体にむくむくと気力が戻ってきた。
スローオフされたディスクを拾い、アリサは前進を開始した。
早実スーパーソニックスの選手たちも疲れているはずなのに、誰一人として手を抜かずに、全力疾走で向かってきた。
敵ながら天晴な運動量には素直に拍手を送りたいぐらいだった。
中盤まで下りてきたお姉ちゃんへ、伝家の宝刀ハンマースローを寄越したはいいが、投げたあとはディスクを迎えに行かなければならない。
しかし、スーパーソニックスのディフェンスにも鬼気迫るものがあり、なかなかマーカーを振り切れない。ディスクを保持したまま孤立するお姉ちゃんに近付き、23番の執拗なマークを振りほどいて、なんとかパスを受け取る。
お姉ちゃんへのパスと見せかけて、23番の裏を取ったつばめへとパスを送る。
指先に力が入らず、パスが微妙に逸れた。走り込むつばめの背中側にディスクが飛んでいく。つばめの顔に「マジかよ」という表情がよぎったが、泥臭く飛びついてキャッチした。
つばめらしからぬ悪足掻きを見ると、なぜだか涙が出そうになった。
既定の試合時間である四十五分はとっくに過ぎているが、ここから先はもうどれだけ時間がかかろうと関係ない。
どちらかのチームが決勝点の8点に到達しない限り、試合は永遠に終わらない。
先に根負けしたチームに不慮の死が訪れる、まさしくサドンデスだ。
傍から見ればものの数分間かもしれないが、体感的には永遠にも等しいぐらいの長い時間、ひたすらパスを回していた。
投げる、走る、飛びつく。投げる、走る、飛びつく。その繰り返し。
中盤から先へ進めず、いったん自陣エンドゾーン付近まで下げさせられたけれど、また蟻のように一歩ずつ地道に前進した。
投げる、走る、飛びつく。投げる、走る、飛びつく。ひたすらその繰り返し。
両足が痙攣して、パスを投げたあとにぶっ倒れてしまった。しかし、すぐに立ち上がって、また走る。お姉ちゃんを孤立させたりしない。悪足掻きするつばめといっしょに走った。
ようやく敵陣エンドゾーンがはっきりと見えてきた。
ハバタキ杯ではお姉ちゃんへ見え見えのパスを投げるのを一瞬ためらったけれど、今回は何ひとつとして迷わなかった。ぜえぜえと息を切らしながら、高々と投げ上げたディスクをお姉ちゃんは誰よりも高く飛んでキャッチした。
その瞬間、「勝った!」と思った。
アリサは拳をぎゅっと握りしめ、這いつくばるようにしてお姉ちゃんの方へ近付く。
疲れてろくに声すら出なかったが、得点の喜びだけはきっちりとやった。
お姉ちゃんを中心にして取り囲み、指を一本立てて前に突き出し、天に向かって高く掲げる。
富士山の天辺に登頂したみたいな達成感があり、「てっぺん、取ったぞ!」と叫びたくなった。
7対7の同点。
次の一点を取った方が正真正銘の優勝だが、気分の上ではもう日本一だった。
最後のスローオフは弓様に任せず、アリサが責任もってぶん投げた。
極限まで疲れ切った身体に鞭を打って、意地で走り抜いた。
早実スーパーソニックスの選手たちも疲れ切っていて、攻撃が単調になっていた。
手数をかけずに中盤からロングシュートを再三狙ってきて、モッティーが本当にぎりぎりでジャンプして防いだ。バレー部仕込みの渾身のブロックを見て、奮い立たないはずがない。
体力的にはとうに限界を迎えているはずの麻乃だが、へろへろになりながらも走った。
運動量こそ落ちていたが、弓道家なりの痩せ我慢なのか、弓様は苦しい顔ひとつしない。
ディスクには触れなかったけれど、ミシェルは捨て身で飛びついてプレッシャーをかけた。
早実スーパーソニックスにエンドゾーン近くまで迫られたけれど、なんとか気迫で押し返し、攻守交替まで持ち込んだ。これで何度目の攻守交替になったのか分からず、どれぐらいの時間プレーしているのかも分からなかった。
早実スーパーソニックスは、最前線から体当たりするような勢いでディフェンスしてきた。
お互いに余力はもう残っていないはずだが、ここまで来たらあとは意地だと言わんばかりの厳しいプレッシャーで、自陣のエンドゾーン付近でのパス回しを余儀なくされる。
ディスクを保持したアリサが周囲を見回すが、人が密集していてパスコースがない。
「1、2、3、4、5……」
23番のストーリングカウントが死の宣告のように時を刻む。
指先にはもうほとんど力が入らず、パスの精度はめっきり落ちている。微妙なコントロールは難しく、味方がキャッチしてくれるのを信じてアバウトに投げざるを得ない。
「6、7……」
最後の砦であるお姉ちゃんを探したが、ワンサイドに全員が密集していて、ふわりと高く投げるにはあまりにも危険に思えた。アリサがどこにも投げられずにいると、まるで救世主のようにつばめが駆けてきた。
つばめは大きく手を伸ばし、「出せ!」と要求した。
アリサは23番のマークから逃れるようにして、つばめへとパスを送った。
しかし、パスの精度が甘かった。ディスクがちょっとだけ浮いた。
お姉ちゃんをマークしていた10番が懸命に走ってきて横取りし、ディスクが地面に落ちた。
そこから先の展開は、アリサの目にスローモーションのように映った。
つばめをマークしていた6番がディスクを拾い、23番がエンドゾーン奥へと走り込む。
パスカットされたアリサが死ぬ気で追い縋ったが、わずかに一歩届かなかった。
23番が決勝点となるディスクを掴み、勝敗が決した。
目前まで迫っていた勝利が、するりと手からこぼれ落ちていった。
全身から力が抜け、アリサは膝から崩れ落ちた。「ああ、届かなかったな」という思いだけが抜けない棘のように心に刺さり、頭の中は真っ白になった。




