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弓様

 ハバタキ杯当日は、絶好の好天だった。


 八月の太陽がじりじりと肌を焼くが、清澄公園をぐるりと囲む木々が暑さを和らげてくれる。


 アリサとお姉ちゃんは現地調査も兼ねて一時間も前から会場入りしているが、ハバタキ社屋前のだだっ広い公園が、お祭り騒ぎのアルティメット・フィールドと化していた。


 緑の芝生に白いラインが引かれ、エンドゾーンに見立てたオレンジ色のコーンが四カ所ずつ、計八個置かれている以外、フィールドにはほとんどなんの手も加えられていない。


 しかしフィールド周囲には出張屋台やキッチンカーがずらりと集結し、焼きそば、たこ焼き、かき氷、タコスなどの看板が掲げられている。アニメ関連の販売ブースも目立ち、『ハバタキ』の特設ブースにはオリジナルデザインのTシャツやフライングディスクが並べられていた。


「なんかすごいね。人、多いね」

「大会というより、お祭りみたいだね」


 もっとこじんまりした内輪のノリを想像していたが、イベント・プロデューサー響谷は意外にも辣腕だったらしい。公園に続々と人が集まってきて、フィールドから数メートルほど離れた場所にピクニックシートを広げだした。まるでお花見のような趣きだ。


 犬を連れている見物客もいるし、アニメキャラクターのコスプレをした一団もいる。青い髪、赤いカラコン、眼帯をしたつばめが普通ノーマルに見えるぐらいの装いの方々もちらほら見かける。


 健全なスポーツ・イベントに妙なスパイスがぶち込まれ、徐々に混沌カオス空間になりつつあった。


 公園の入り口前に現地集合、と皆には伝えてあるが、つばめだけには一時間早く集合時間を伝えてある。案の定、「すまぬ。ちと遅れる」という連絡が来た。


 一時間前だし、さすがにまだだれも来てないよな、と思いつつアリサが入り口前まで行くと、


 七月半ばにアルティメット部に新加入した杠葉ゆずりは弓美ゆみが所在なさげにぽつんと立っていた。


 弓道部の次期主将と噂され、鎌倉女子学院大学付属中等部の学校案内パンフレットの表紙を飾ったカバー・ガールでもあるゆみ様が、こんな吹き溜まりにいること自体が信じられない。


 切れ長の目がいかにも不安げで、「この場所でいいのかしら」と訴えているようだ。


 学校には爺やが黒塗りのハイヤーで送り迎えするし、お弁当はお抱えシェフの作ったお重で、横浜らへんにあるとかいう大邸宅でドーベルマンとシベリアンハスキーとシェパードを飼っているらしい。犬小屋が庶民の家ぐらいにデカいという噂だが、飼っている犬がみんな強そうなことには皆、あえて触れようとはしない。


 万が一、飼い犬をけしかけられたら、骨までむしゃぶり尽くされる危険がある。


 教室内ではほとんど肉声を聞いたことがなく、放課後の弓道場でひたすら凛とした佇まいから弓を放つクール・ビューティーに付けられた渾名は、そのまんま「弓様」。さすがのつばめですら、おいそれとは触れられない高貴なオーラをぷんぷんと振りまいている。


「弓様っ!」


 アリサが駆け寄ると、弓様がほんのりと微笑んだ。


 なんというフォトジェニックな笑みであろうかと、わけもなくドキドキする。


「おはようございます、アリサさん」

「おはようございます、弓様」


 弓様はいつもお淑やかな敬語で喋るので、ついつい口調が釣られてしまう。


 今日もハイヤーで来たのかな、と思ったが、そんな滅相なことは聞けない。


 普段は弓道部に所属しているので、アルティメット部の練習に参加したのはたったの三度だけだ。気安く喋れる仲でもなく、いまだ弓様のキャラクターは掴みかねている。


 なんというか、全身に神聖なオーラが漂っていて、迂闊なことを口にできない空気がある。


 弓道着姿の弓様は幾度も見かけたことがあるが、『鎌倉アルティメット・ガールズ』のユニフォームを着ている姿はとても新鮮だった。背番号の7が特別に麗しく映えている。


 朝の挨拶をしたら、あっさり会話がなくなった。


 お姉ちゃんは会場をあちこち下見しており、他の部員はだれも到着していない。


 これから小一時間ばかり弓様とマンツーマンだが、いったいなにを喋ればいいのだろう。


 なんとも言えない憂鬱な気分になる。


 つばめ、はよ来いやと思うが、どうせギリギリだろう。


 今日の朝食はなにを召し上がりましたか、とか聞けばいいのだろうか。しかし、その質問は途中でやめた。これから試合に挑もうというのに、いかんとも埋めがたい格差社会を味わって、回復不能のダメージを負う必要はない。


 それにしても、弓様がアルティメット部に加わった真意は今もって謎だ。


 七人目の選手を求めてあちこちの運動部に勧誘スカウトに行ったが、「悪の帝国」という悪評の流れたアルティメット部の仲間に加わってくれる生徒はなかなか現れなかった。


 ハバタキ杯のチラシをカラーコピーして校内のあちこちに貼りまくり、「いっしょに大会に参加しようぜ!」と呼びかけたが、美化委員会にあっさりとポスターを撤去された。


 七月の声を聞いても新入部員はおらず、あと一人どうしようか、と頭を悩ませていたところ、弓道着姿の弓様がふらりとアルティメット部の部室を訪ねてきた。


 我が物顔でのさばる悪の帝国を根絶やしにせんと、配下のドーベルマンとシベリアンハスキーとシェパードをけしかけに来たのかと思って身構えたが、弓様は開口一番「私も入部させてください」と言った。


 雲隠れしようとしていたつばめでさえ、「へ?」と間抜けな声を発した。それから上を下への大騒ぎで、弓様は弓道部とアルティメット部を兼部なさることになった。


「弓様はどうしてアルティメットをやろうと思ったんですか?」


 雑談めかして訊ねてみると、弓様はちょっと照れたように笑った。


「アリサさんの犬日記をいつも楽しく拝聴しており、いつか親しくお話してみたいなと思っておりました。最近はフライングディスクをなされているようですが、私も家では犬たち相手によく投げているものですから、これはなおのことお話してみたいなと」


 犬日記とは、修養日誌のことだろう。ホームルームの時間や、朝礼、終礼の時間に石田先生が生徒の日誌を読むことがあり、アリサが犬のことばかり書いているのは周知の事実だ。


 アルティメット部を創部してからは、あるてぃま相手にディスクを投げていることも書いた。


「あー、なるほど。それで……」


 平然と相槌を打ってみたものの、ドーベルマンとシベリアンハスキーとシェパードが一斉にフライングディスクに飛びかかる光景を想像して、ちょっと恐ろしくなった。


「ディスクに噛み痕がつきませんか?」

「そうなんです。すぐに穴が開いちゃうのですよね」


 弓様がふふふ、とお上品な笑みを漏らした。ふにゃふにゃのフリスビーならともかく、頑丈なフライングディスクに穴が開くって、咬む力どんだけ強いんだよ……とは言わない。


「うちは子犬なので、穴までは開きませんが」

「そうなんですか。うちは二、三日で駄目になってしまいますけど」


 弓様とほとんど噛み合わない犬談義を交わしていると、麻乃とモッティーがやって来た。


 寝癖が爆発したようなぼさぼさ頭のミシェルが時間ぎりぎりにやって来て、今日も眼帯を装着しているつばめはやっぱり遅刻した。「だってアリサが泊めてくれねーんだもん」と、まるで私の責任かのように言う。


 お姉ちゃんが来ないなと思って辺りを見回すと、ハバタキのブース前で響谷プロデューサーに掴まっていた。離れるに離れられず、お姉ちゃんが「助けて」という視線を送ってきた。


 それぐらい自分でなんとかしなよと思うが、試合前なので余計な気は遣わせないことにする。


「お姉ちゃん、見っけ。それじゃあ行こうか」

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