必殺技
その日の練習は、眼帯が二人いた。
眼帯のつばめは片目でも慣れたものだが、眼帯のミシェルはいつもと勝手が違ったようで、忍者らしからぬミスを繰り返してばかりだった。
ディフェンスにぶつかる。こける。パスミス。キャッチミス。
その挙句に、反則のジャンピングスローばかりしている。
ミシェルの前方不注意で、思い切り腰に体当たりを食らったモッティーは怒り心頭だった。
「あいつ、ちょっとシメていい?」
「ごめん。私がなんとかするから」
腰痛の持病を抱えるモッティーがわなわなと怒っていて、アリサはなだめるので精いっぱいだった。頼りのお姉ちゃんはまだ大学の授業があって、校庭には姿を現しておらず、アリサがこの場をいさめなければならない。
ジャンピングスローはいずれやめさせなければならないが、これは個人の問題だから、まだ許せる。反則であることに目をつむれば、だれにも迷惑はかけていない。
しかし、眼帯のせいで視界不良になり、チームメイトに怪我を負わせるのはいけない。
取り返しのつかない大きな事故になってしまう前に、ここはきちんとシメなくてはならない。
しかしながら、相手はつばめ二号機である。
なにも初号機の悪いところだけを見習わなくてもいいのに、と愚痴のひとつぐらいは言いたくなる。子分の不始末は親分が正してほしいところであるが、つばめはいつも通りゆらゆらしているだけだ。なにを考えているのか、ちっともよく分からない。
「つばめ」
揉め事には我関せずで、かったるそうにぷらぷらしているつばめに声をかけると、つばめはさっと右目の眼帯に触れた。「なんだよ、あたしは眼帯外さねーよ」という意志表示であろうが、べつにあんたに眼帯を外せ、とは言っていない。
アリサは二号機の方にちょっとだけ顎を向けてから、「どうするの?」とだけ言った。
深刻めいたアリサとは対照的に、つばめはあっけらかんとしたものだった。
「三対二、やろうぜ。アリサとモッティーがディフェンスで」
「は?」
「まあ、いいからいいから」
ミニコーンを四つ立てて、エンドゾーンに見立てた。
スロワーはつばめ、レシーバーは麻乃とミシェルの二人。
ディフェンスはアリサとモッティー。
つばめのマークにはアリサが付いたが、ディフェンスは最初から数的不利で、モッティーは一人で二人のレシーバーを相手しなければならない。
麻乃とミシェルが協調して動けば、エンドゾーンでどちらかがフリーになるのは容易だ。
つばめのやつ、いったいなんのつもりだよ、と思いながら練習を始めた。
最初のうちは、麻乃にしかパスしないな、ぐらいにしか思っていなかったが、つばめは一本たりともミシェルにパスを投げなかった。麻乃も、つばめにしかパスを返さない。
エンドゾーンでドフリーになり、「オヤブン! オヤブン!」とミシェルがパスを要求しても、つばめはそこにミシェルが存在しないかのように無視した。右目に眼帯をつけているせいで、ミシェルの動きがすべて死角に入っている、と言わんばかりだ。
三人対二人のはずなのに、実質的にはミシェルを除いた二人対二人だった。
「オヤブン! オヤブン! ニンジャ!」
ミシェルがパスを要求するが、つばめはミシェルのことなど見向きもしない。
敬愛するオヤブンに何度も何度も無視されて、いい加減にミシェルも気がついたらしい。
左目からぼろぼろと涙をこぼし、堪えきれずに嗚咽した。
それでもつばめはミシェルのことなど目に入っていない、とばかりにプレーを続けた。
部室の鍵は巾着袋に入れて麻乃が管理しており、練習中は校庭の脇に置いてある。
ミシェルは涙を拭いながら巾着袋を掴むと、逃げるように部室棟の方へ走っていった。
いくらなんでもやりすぎじゃないかと思ってつばめを睨んだが、つばめはアリサのことさえも目に入っていないかのように淡々とプレーを続行している。
つばめの無言の背中が「追わないの? あたしは追う気はないけど」と言っている。
「あー、もう面倒くさいな」
アリサは苛立たしげに頭を掻きむしると、部室の方へと走った。
部室の電気は点いていなかったが、鍵は開いていた。籠城するつもりなら鍵は掛けておけよ、と思うのだが、誰かが追ってきてくれないかな、と期待している裏返しでもある。
完全に心を閉ざしているわけではなく、ただ拗ねているだけなのだ。
いつぞや、つばめをワカメ呼ばわりした日のことを思い出した。
あの日のつばめは毛布をひっかぶって座敷童のようにいじけていたが、この日のミシェルは部室の隅っこに体育座りしていじけていた。そんなところまで親分に似なくていいのに、と思いながら近寄った。塞ぎ込んだミシェルは近付いてきた足音がつばめのものでないと知って、明らかに落胆した表情を見せた。
「あー、可愛くない」
アリサは薄笑いを浮かべながら、ミシェルの眼帯を引っぺがした。
ミシェルは「カエセ! カエセ!」とじたばたしているが、やがて諦めて大人しくなった。真っ赤に充血した目はウサギのようで、怒りながら泣いている。器用なんだか不器用なんだか、よく分からない有様だった。
すっかり大人しくなったミシェルを膝に乗せて、鳥の巣みたいにくしゃくしゃの髪を梳かしてやると、驚くほど綺麗な天使の輪が現れた。
「こっちの方がぜんぜんいいじゃん」
ミルクティー色のまっすぐなブロンドの髪は美しかったが、ミシェルは気に入らないのか、くしゃくしゃと頭を掻いて、いつもの寝癖ヘアーにしてしまった。
「ニンジャ!」
「はいはい。忍者、忍者」
どうにも髪の毛がくしゃくしゃなのが、ミシェルのなかでは忍者であるらしい。そこは好きにしてくれていい。髪がまっすぐだろうと、くしゃくしゃだろうと、どうこう言わない。
「つばめが怒ったのは、モッティーにぶつかった後、ごめんなさいしなかったからだよ。承知?」
「……ショーチ」
むくれ方までつばめそっくりだったが、一応は反省しているようだった。
反省ついでに、ジャンピングスローの悪癖も正しておこうと思った。
「あと、投げるときにジャンプするのは駄目。承知?」
「ショーチじゃナイ」
ミシェルはそれは聞けない、とばかりに首を横に振った。ジャンプしながら投げるのが忍者だと思っているのなら、聞けない相談であるのだろうが、そこは改めてもらわないと困る。
どうしたらジャンプしないで投げてくれるかと考え、唐突に閃いた。
「あのね、ミシェル。ジャンピングスローは究極の必殺技なの」
「ヒッサツワザ?」
ミシェルの目がぱちくりと瞬き、今日いちばんの興味を示した。
「ジャンプして投げていいのは、空中にあるディスクを受けて、そのまま投げるときだけ。地面に着地しちゃったら必殺技は使えないの」
アルティメットでは、グレイテスト――文字通り、最も素晴らしいプレーがある。
オフェンス時、サイドラインの外へ出そうになったディスクを、フィールド内からジャンプして空中でキャッチし、競技区域外に着地するまでにフィールド内に向かって投げ、味方へのパスを成功させるプレーを指す。
「ここぞというときに使うから必殺技でしょう。いつも使ってたら必殺技じゃないよね。承知?」
「ショーチ!」
ミシェルは「ヒッサツワザ」という響きが気に入ったらしい。
「必殺技を使っていいのは、フィールドの外に出そうなときだけ。フィールドにいるときは、ジャンプして投げちゃダメ。承知?」
「ショーチ!」
ミシェルがぴしっと敬礼した。これでまたジャンピングスローをするようなら、次は優しくしてやらないからな、と思いつつ抱き起こした。練習に戻ろうとすると、部室の外につばめが何食わぬ顔して立っていた。手に持っていたディスクをしゅぴっ、とミシェルに投げた。
話は終わったかね、とでも言いたげなハードボイルド感にうんざりする。
突然のオヤブンの出現にビビっていたミシェルは、ディスクを受け取るなり破顔した。
オヤブン、もう怒ってないのかな、と言わんばかりに、そろりそろりと近付く。
「ニンジャ!」
つばめが手裏剣を投げる真似をしながら言い、「さあ、急げ」とばかりにミシェルを急かした。
「ニンジャ!」
ミシェルは「しゅたたたたたた」と言いながら、校庭の方へと走っていった。アリサは床に落ちたままの眼帯をくしゃっと握り潰してからゴミ箱に捨て、部室の鍵を閉めた。




