イマジン
鎌倉アルティメット・ガールズは石田ミシェルが入部したことで、部員数五名、コーチ一名、顧問一名となった。
モッティーはバレー部との兼部で、つばめもダンス部を退部していないが、部員の頭数だけは揃ったので、ひとまず部活動として認められることになった。部室棟の空き部屋をもらい、アルティメット部の看板を掲げると、なんとなくそれっぽくなった。
部室ゲット記念にアリサが唐揚げを大量に揚げてくると、練習には一回も顔を出していないモッティーがひょっこり顔を出し、ひたすら唐揚げを食べていた。
「練習に一回もこないで、よく唐揚げだけ食べにこられるね」
「唐揚げ一日食べ放題券を行使しただけだし」
つばめがちくちくと嫌味を言っているが、モッティーはどこ吹く風だ。
「腰の具合は?」
アリサが訊ねると、どうにもモッティーの顔色が曇っていく。
「え、なに? 深刻なの?」
「ジャンプすると、ピキッと腰が痛んでさ。整形外科で診てもらったら、これ以上バレーを続けると危ないですよ。もう少し負担の少ないスポーツに転向した方がいいでしょうって」
前々から言われていたことだが、助言を無視して、だましだましバレーを続けていたらしい。
さっきからモッティーはばくばくと唐揚げを食べ続けているが、腰の痛みが癒えないことによる、やけ食いであろうか。お姉ちゃんがまだ部室に到着していないのに、唐揚げは早くも底が尽きそうになっていた。
ミシェルは意外と人見知りなのか、モッティーがやって来た途端、いきなり静かになった。口を開けば「ニンジャ! ニンジャ!」と騒ぐのに、黙っていると、お人形さんみたいだ。
「ねえ、つばめ。この子、どこから誘拐してきたの?」
「石田先生の隠し……」
つばめが余計なことを口走ろうとしたので、アリサが口を塞いだ。
「石田先生のお孫さんで、ミシェルちゃん。フランス人とのハーフなんだって」
「そう言われてみれば、石田先生にちょっと……似てるかあ?」
モッティーがじろじろとミシェルの顔を眺め回した。
ミシェルはカーテンの後ろにさっと隠れ、ぐるぐると回転し、それで姿をくらましたつもりなのか、「ニンジャ! ニンジャ!」と言っている。声がくぐもっていて、聞き取りづらい。
麻乃はパソコン愛好会から譲り受けたパソコンを部室に設置し、アルティメット関連の情報収集に余念がなかった。
部としての活動実績となるような大会情報を検索してくれている。
「九月に全国ユースアルティメット大会というのがあるけど、七人制じゃなくて五人制だね。フィールドサイズも小さいみたい」
「五人でいいなら、今でもギリギリ出られるね」
「もしかして私も頭数に入ってる? 私はただ唐揚げをゴチに来ただけだよ」
モッティーが横やりを入れたが、アリサはしれっと聞き流した。
募集部門には、五つのカテゴリーがあった。
「小学生低学年部門」「小学生高学年部門」「中学生部門」「高校生部門」「中高校生女子部門」のうち、「中学生部門」でも「中高校生女子部門」でも出場可能だ。
しかし、この大会には大学生のお姉ちゃんは出場できない。
アリサが渋い顔をして押し黙っていると、麻乃はすべてを察したようだ。
「練習を見てもらうだけじゃなくて、大会にも一緒に出たいよね」
「うん……」
アルティメットには、男女混合のミックス部門が存在する。
男女が同じフィールドに立てるのに、中学生と大学生が同じフィールドに立てないのはなぜだろうかと思うと、不思議な気がした。
夕方五時近くになってもお姉ちゃんは姿を現さなかった。
なんとなく練習する気分になれず、皆でだらっとしていると、五時過ぎになってお姉ちゃんがようやく現れた。大学の授業で遅くなったのかなと思ったが、お姉ちゃんはいつになく嬉しそうだった。背中の後ろに両手を隠しており、なんだかやけに勿体つけている。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「妃沙子さんがユニフォームを届けてくれたの」
その言葉を聞くなり、ソファでだれていたつばめの背筋がぴんと伸びた。
「じゃじゃんっ!」
背中から取り出したのは、アニメーション・スタジオ『ハバタキ』の神絵師、大塚妃沙子がデザインしたユニフォームだった。つばめだけでなく、ユニフォームを見た全員が息を飲んだ。
「すげっ、……神」
胸元には『鎌倉アルティメット・ガールズ』の金色のロゴがあった。
由比ガ浜海岸と思しき紺碧の海と砂浜を背景に、黒髪のポニーテールを揺らした長身の女性が今まさにバックハンドスローを繰りだそうとしている絵がユニフォームの表に描かれている。ユニフォームの背中は、フライングディスクを追いかけるパピヨンが砂地を疾走している絵で、右肩にはさりげなく『株式会社ハバタキ』の銀色のロゴが刻まれていた。
背番号の1は、燃え立つような赤だ。
額縁に入れたらそのまま飾れそうなぐらいに美しく、まるで一枚の絵画のような出来栄えだ。
人物は明らかにお姉ちゃんをイメージしているが、アルティメット選手を理想化したようなシルエットのようにも見えた。
「背番号は1番から10番まで用意してくれたみたい。もっと部員が増えて背番号が足りなくなったり、アウェー用のユニフォームが必要だったら、また相談してだって」
お姉ちゃんは1番のユニフォームを綺麗に折り畳むと、十枚まとめてつばめに渡した。
「え、あたしっすか?」
神の逸品は受け取れません、とばかりにつばめが受け取りを固辞したが、お姉ちゃんはにこりと笑って、すべてをつばめに託した。
「依頼主はつばめだからね。つばめが受け取るべきだよ」
ユニフォームを受け取ったつばめは、珍しく神妙な面持ちをした。
つばめはわずかに思案したあと、わざとらしく咳払いをしてから厳かな調子で言った。
「そんじゃ、ユニフォーム配りまーす」
背番号1をだれに配ろうかと迷ったらしいが、アリサの胸にユニフォームを押しつけた。
「……私?」
ユニフォームを受け取ったアリサが半信半疑の顔をした。自分大好きっこのつばめのことだから、とにかく1番はあたしのものだと言い張りそうな気がしたが、予想が外れた。
「アルティメット部を作ろうと言った、そもそもの言い出しっぺはアリサだからね。1番は、アリサしかいないっしょ」
つばめが他人に先を譲るだなんて、そんな殊勝なことをするとは思ってもみなかった。
「2番は、あたし。つばめの2」
つばめはピースサインをしながら2番を確保し、3番を麻乃に渡した。
それから5番をモッティーに渡し、6番をミシェルに渡した。
これはアルティメット部に誘った順番と符合する。
あえて、4番を除いたのは、つばめなりの粋な計らいだろう。
アマチュア・バスケでは、「4番=キャプテンの背番号」というイメージが根強い。
鎌倉女子学院大学中等部、高等部バスケ部の4番といえば、羽咲エリサの代名詞だ。
その名は同学年だけの内輪にとどまらず、アリサら下級生にまでとどろいていた。
「私たちと一緒に戦ってくれますか、お姉ちゃん」
つばめは4番のユニフォームをお姉ちゃんに捧げた。
「いきなり泣かせないでよ、つばめ……」
ユニフォームを受け取ったお姉ちゃんの目元が潤んでいて、事情をよく知らないミシェルが「どうしたの? ニンジャのお姉ちゃん、どうして泣いてるの?」という顔をしている。
初等部からの付き合いであるモッティーは、ユニフォームを受け取ったものの、ものすごく立ち去りづらそうな微妙な表情をしていた。
「くそ、小悪魔め。こんなの見せられたうえに唐揚げだけ食って帰ったらサイテーじゃん」
腰の痛みが癒えたらバレー部に出戻るかもしれないけれど、それまではアルティメット部を手伝ってくれるだろう。よもや唐揚げを食べるだけ食べて、なんの恩も感じずに食い逃げするような輩ではないことぐらい、よく知っている。
ましてや、チームの代表しか袖を通すことを許されないユニフォームを受け取ったのだ。
中途半端なことはするまい。
「ユニフォーム代はどうすればいいのかな?」
月のお小遣いが三千円ぽっちであるアリサがおそるおそる訊ねた。
「私もそう聞いたんだけど、妃沙子さんは無料でいいって」
「ほんと?」
「その代わり、このユニフォームを着て、この大会に出てくれればいいって」
お姉ちゃんはショルダーバッグから用紙を取り出した。
それは『ハバタキ杯』と銘打たれた、ハバタキ主催のアルティメット大会だった。
「集え、究極女子! 世界へ羽ばたけ!」とあるように、募集されているのは女子部門で、年齢に制限はなく、出場資格には「女性」とだけ書かれている。
“イベント・プロデューサー”の響谷一生のキメ顔が若干腹立たしいが、なにはともあれ、お姉ちゃんといっしょに出場できる大会があるというのは素直に嬉しかった。
「これなら、お姉ちゃんといっしょに出れるね」
「私たちのために大会まで作ってくれたのかな」
「さすがにそれはないんじゃない」
「そうだよね。でも、目の前に目標があると張り合いがあるよね」
大会の開催日は八月半ばで、二ヵ月以上たっぷりとチーム練習ができるな、と考えていると、隣でつばめが大騒ぎした。
「賞金五十万だって! やべー!!!」
「マジで?」
さして乗り気でなかったモッティーの目の色が変わった。
「想像してごらん、五十万円分の唐揚げを食べ歩くことを」
「想像した! めっちゃ想像した!」
「イマジン、オール・ザ・ピーポー」
「オール・ザ・ピーポー」
ジョン・レノン気取りの日曜日の唐揚げ連合軍は、よだれをだらだらと垂らし、早くも優勝賞金を獲得したかのような想像に耽っている。
腰掛け同然のモッティーがやる気になってくれるなら、動機はなんだってかまわないけれど、「賞金は山分けが基本だよね」と、つばめにちくちく釘を刺しておくことにしよう。
取ってもいない賞金の使い道をあーだこーだと皮算用するトラタヌ隊を尻目に、麻乃は冷静に募集要項に目を通していた。
「募集チーム数が十六チームということは、四回勝たないと駄目なんだね」
試合時間は二十分で、試合時間内に五点を先取したら、その時点で勝ち抜けとなるようだ。
同点のまま試合時間が過ぎた場合、決勝戦以外は「フリッピング」で決める。
サッカーのコイントスのようなもので、両主将がまずジャンケンする。
ジャンケンに負けた方の合図に合わせて、二人一緒にディスクを投げ上げる。
ジャンケンに勝った方は、ディスクが地面に落ちるまでに、ディスク二枚の向きが同じだと予想する場合は「セイム」、違うと予想する場合は「ディファレント」とコールする。
コールが合っていれば勝ち、外れれば負け、という究極の運試し。
チームの勝敗を一身に背負う主将だけは絶対にやりたくないな、と思えた。
「一日で四試合こなすのって、きついかな」
七人対七人の実戦を唯一経験したことのあるお姉ちゃんに訊ねると、
「練習試合でも百分ぐらいやってたし、二十分×四ぐらいなら平気じゃないかな」
「……百分?」
それ、ほとんどサッカーじゃんと思ったが、バスケ部を辞めて以降、体力が有り余っているお姉ちゃんにはちょうど良いぐらいらしい。
「二十分だけだと、試合の入り方が重要になる。出だしでバタバタっとやられたら、そのまま押し切られて、あっという間に終わっちゃうから」
「終わらないまでも、先制点取られてちまちまパス回されたらきついね」
「そうだね。そういう可能性もあるかも」
同点のまま試合時間が過ぎたらフリッピングで決着するが、リードさえしていれば、その差を時間いっぱい守り切れば勝ちだ。
決勝点となる五点に届かずとも、無理に攻め込む必要はない。
「なにはともあれ、ディフェンスが大事だね」
とは言ったものの、このチームに守備的な人材は乏しい。
お姉ちゃんはオフェンス、ディフェンス、どちらもいけるオールラウンダーだが、つばめはメンタルからしてオフェンス特化型だし、アリサもオフェンス寄りだ。麻乃はどっちつかずで、入部したばかりのミシェルと腰掛けのモッティーは、どんな動きをするか未知数。
「ねえ、モッティー。ジャンプすると腰が痛むって言ってたけど、レシーブは平気なの?」
アリサが訊ねると、モッティーはようやくトラタヌのイマジンを中断した。
「レシーブ? ぜんぜん平気。スパイクするときに飛ぶじゃん。痛いのはそのときだけ」
「フロアに飛び込むのは平気なの?」
「そんなの余裕、余裕」
バレーのウイングスパイカーがスパイクのたびに腰が痛む、というのは死活問題だろう。
しかし、レシーブのときに痛みがないならば、アルティメットでは十分に戦力になる。
モッティーは体育館の床に思い切り突っ込んでいくことに、まったく恐怖心がない。
体育館の固い床に頭から突っ込めるのなら、芝生に突っ込めないはずはない。
空中にあるフライングディスクに頭から突っ込んでいって、ダイビングカットするぐらいは造作もないだろう。
ディスクが地面に落ちれば攻守交替だ。
相手がパスを回しだしたら、私とつばめでハンドラーのパスコースを限定して、モッティーがパスを叩き落とす。相手チームのパスをばしばしカットするモッティーの姿を想像すると、チームの未来形がくっきりと見えた気がした。
「想像してごらん」
アリサはモッティーの肩を抱くと、机上のフライングディスクを指差した。
「モッティーは最強のディフェンダーになる。さあ、想像してごらん」
「いきなり、なに? アリサ、キショっ……」
腰痛のウイングスパイカーは、フライングディスクを回収する掃除人になるだろう。
モッティーには気色悪がられたけれど、ありありと想像してしまったイメージを、もう消すことはできなかった。




