忍者の子
ゴールデンウィーク明けの放課後。
お姉ちゃんがコーチに来てくれるのを待つまでの間、麻乃と自主練をして過ごした。
アリサが校庭でフライングディスクを投げていると、ハーフっぽい女の子がそろり、そろりと足音を立てず、近寄ってきた。ミルクティー色のブロンドの髪は鳥の巣みたいにくしゃっとなっていて、くりくりした目は神秘的な青だった。
新入生なのか、背は小さく、頭がやっとアリサの肩に届くぐらいの身長しかなかった。女の子と呼べるほどには成熟しておらず、胸は平べったい。無造作なショートカットと相まって、草原に住む少年のようだった。
麻乃から返ってきたディスクを掴むと、少女はことさら興味深そうにアリサを見た。
「ニンジャですカ? ホンモノですカ?」
「え?」
少女は「しゅっ、しゅっ」と言いながら手裏剣を放つ仕草をすると、満面の笑みを湛えた。
飴玉ひとつで悪人に誘拐されてしまいそうなぐらい、屈託のない笑顔だった。
「シュリケン、ニンジャ、ホンモノ!」
少女はものすごくディスクに触りたそうにしていた。オモシロ物件に目がないつばめがこの絶好機を見逃すはずがなく、その手にはしっかり入部届が握られていた。
「お嬢ちゃん、忍者道に興味があるかい?」
「ニンジャ! アリマスカ!」
「今は忍者の秘密特訓中でね。この紙にサインしたら、君も立派な忍者になれるよ」
「ニンジャ! ニンジャ!」
日本語を流暢には喋れないが、こちらが言っていることはきちんと理解しているらしい。
つばめがペンを渡すと、少女は入部届に「石田ミシェル・プティ・忍」と書いた。
最後に付け足されたのは本名なのか、忍者に憧れているからなのかはよく分からない。
「……石田?」
アリサが首を傾げるが、つばめはさっそく忍者少女を伴って職員室の方へと歩いていく。
つばめを単独行動させると何をしでかすかわかったものではないので、アリサも続いた。
校庭にひとり取り残された麻乃も、慌てて追いかけてきた。
「パパっ!」
職員室の自席で緑茶を飲みながらくつろいでいた石田先生の顔色がはっきりと変わった。
忍者少女は目を糸のようにして微笑むと、ぱたぱたと駆け寄っていく。
「……パパ?」
「……隠し子?」
アリサとつばめが好き勝手な感想を漏らすと、石田先生は「違います」と首を横に振った。
「ミシェル、パパじゃない。おじいちゃんだと言ったでしょう」
ミシェルはおじいちゃんと言おうとしたが、発音が難しいのか、結局「パパ」になった。
「ほんとうにお孫さんなんですか?」
相変わらず眼帯をつけたままのつばめは、にやにやと笑っている。
「ええ、フランス人とのハーフです」
「この名前は本名なんですか?」
アリサが「忍」の名を指差すと、石田先生はやんわりと首を振った。
「今までフランスで暮らしていたのですが、今年からこちらに通うようになりました。忍者のアニメを見てから、ずっとこんな調子です」
入部届を受理した石田先生は、フランス語らしき言葉でミシェルに話しかけている。
ミシェルはうん、うんと素直にうなずき、最後に「ニンジャ!」と言った。
「なんて言ったんですか?」
「鎌倉の忍者には鎌倉の流儀がある。ここで投げるのは手裏剣ではなくフライングディスクだ。お姉さんたちの言うことをちゃんと聞きなさい、と戒めておきました」
緑茶をお上品に啜った石田先生は、孫娘の面倒をあっさり丸投げしてきた。
「コーチの件はどうなりましたか?」
「お姉ちゃん……じゃなくて、姉のエリサに依頼しました」
「分かりました」
石田先生は余計なことを訊ねず、軽くうなずいただけだった。
「これでいいと思いますか?」
「これ以上ない人選だと思いますよ」
お姉ちゃんは完全にバスケから離れてしまってよかったのかな。
そう思わないではいられないが、石田先生が追認してくれたので、少し気分は楽になった。大学の授業が終わって、お姉ちゃんがそろそろ来る頃かなと思い、職員室の窓から顔を出すと、戸惑い気味のお姉ちゃんがきょろきょろと辺りを見回していた。
「お姉ちゃん、ここ、ここ!」
職員室から手を振ると、お姉ちゃんもようやく気がついた。
つばめはミシェルを連れて、もう職員室を後にしていた。
「日本語はまだ不慣れですが、よろしくお願いします」
石田先生は緑茶を啜りながら言った。
アリサと麻乃は小さく会釈してから、職員室を後にした。




