合宿
五月のゴールデンウィークは、つばめが「合宿っ!」と称して羽咲家に泊まっていた。
部員集めの方は芳しくなく、慢性腰痛のモッティー大砲をだまくらかして、入部届にサインだけさせた。
現在の部員数は四名、うち一名はバレー部との兼部の幽霊部員である。
腰が痛い、と訴えるモッティーにしつこくまとわりついたつばめは、「腰痛なんて、肉を食べれば治るじゃん」という、どこぞの海賊理論をふりかざした。
揉めているようだったので、途中で仲裁に入ったアリサは、そんな問題じゃないだろうと呆れたが、日曜日の唐揚げ連合軍を結成する両名にとっては、そんな問題であったらしい。
「ただいま入部届にサインいたしますと、一日唐揚げ食べ放題券をお付けしますよ」という、強引なキャッチセールスそのものの口説き文句で、モッティー大砲を陥落させた。
腰を押さえながら体育館の方へ消えたモッティーは、「くそ、小悪魔め」という捨て台詞を残した。つばめと同じヲタクな世界観を共有していることはダダ漏れであった。
以来、鎌倉アルティメット・ガールズ(仮)は、運動部から有望株を引き抜く「悪の帝国」として名を馳せるようになった。
どの部もエースを引き抜かれまい、とプロテクトしている。
唐揚げに釣られ、悪の手先にはなるな、というお達しがあったとか、なかったとか。
「プロテクト漏れしたお宝をスカウトしに行くから、べつにいいもんね」
つばめは強がっているが、アルティメット部に入部したいという希望者は今のところゼロだ。
お姉ちゃんは、週に二日間だけ由比ガ浜海岸沿いのファミレスでアルバイトをするようになった。休日は朝から出勤し、夜七時には退勤するシフトだったのに、今日は店内が混んでいて、まだ上がれないようだった。
お姉ちゃんは五、六カ所のアルティメット・チームの練習に参加し、基本的にはどのチームもウェルカムだったみたいだ。三十代、四十代がメインのシニアチームでは「女子大生が来た!」と大喜びされたらしい。
しかし、練習場所が荒川の河川敷だったり、千葉の海浜幕張の浜辺だったりして、鎌倉から通うには往復三時間以上かかるし、電車賃だけでも毎回二千円ぐらいかかる。
練習後の飲み会も含めたら、練習に行くだけで四、五千円ぐらいのお金がかかってしまう。お小遣いを使い果たしたお姉ちゃんは「学費以外のお金は、なるべく自分で賄うようにしたい」と言い、ファミレスでバイトを始めた。
アルティメットをするにあたって、練習場所の問題は常に付いて回る。
ディスクと芝生さえあれば練習はできるので、野球場でもサッカー場でもラグビー場でもいいが、それらの競技が優先され、なかなかフィールドを貸してもらえない。
そのため、ほとんどのチームは河川敷のグラウンドや公園の広場で練習している。
「体育館に行けばバスケができていたのって、恵まれていたんだなあ」
千葉での練習から帰ってきたお姉ちゃんは、悟ったように言った。
バイト先のファミレスの目の前は砂浜で、夜になればほとんど人はいない。
練習パートナーさえいれば、個人練習をするにはうってつけの環境だった。
お姉ちゃんのバイト先のロードサイド店を訪れたアリサは、メニュー表と睨めっこしていた。つばめは「ドリンクバー、ドリンクバー」と騒いでいて、麻乃は店内を物珍しそうに眺めまわしている。
バイト終わりのお姉ちゃんを誘い、夜のアルティメットに付き合ってもらう予定だったから、お小遣いの持ち合わせは少ない。
接客に来たお姉ちゃんはウェイトレスの格好をして、薄化粧をしていた。膝丈のスカートから健康的な長い足が伸びていて、背中で黒髪のポニーテールが揺れている。
「ご注文はいかがいたしますか」
注文端末を持って、接客マニュアルの用語を口にしたお姉ちゃんがはにかんだ。
いつもジーンズにシャツというラフな格好をしているから、ウェイトレスの格好をするのが恥ずかしくて仕方がないのだろうけど、変な虫がつかないかと心配になるぐらいに可憐だった。
「お姉ちゃん、私、お金ない……」
メニュー表で口元を隠しながらアリサがこそっと伝えると、
「奢ってあげるから一品ずつ好きなの頼みなよ。まだ上がれないから、もうちょっと待ってて」
なんとも男前なお答えが返ってきた。
隣で耳をそばだてていたつばめが「神っ!」と叫んだのは、言うまでもない。
一品だけといったのに、つばめは鶏の唐揚げ、グリルソーセージとフライドポテト、オニオングラタンのココット焼き、マルゲリータピザ、……と目についたものを片っ端から頼もうとしたので、アリサが途中で睨みつけた。それで結局、鶏の唐揚げに落ち着いた。
つばめはめちゃくちゃ嬉しそうに唐揚げを食べ、はあと物憂げな溜息をついた。
「なんの溜息?」
「エリサちゃんはほんとイケメンだよね。三次元なのに、ほーんとイケメン。どっかに毎日、唐揚げを食べさせてくれるイケメンいないっすかね」
「ちょい待て。つばめのイケメンの理想像って、お姉ちゃんなの?」
つばめは、なにをいまさら、という顔をした。
「あんな完璧イケメンはいないっすからね。二次元イケメンを究極召喚するしかないっすわ」
初等部一年の頃から、つばめといっしょにお姉ちゃんの試合を応援してきて、「お姉ちゃん、かっこいい!」と言いまくっていたから、「お姉ちゃん=究極イケメン」という図式が成立するのも、考えてみれば当然だった。
「たしかに。そこには異論はない」
「だしょ。エリサちゃんはイケメン。最近、ちょっと色気づいてるけど」
「あー、そうね」
お姉ちゃんが小説家の藤岡春斗に淡い恋心を抱いているのは知っている。
図書館で借りた『紙の子供たちはみなキョドる』を貸してあげようとしたら、お姉ちゃんの部屋の本棚にしっかり収められていた。
「つばめは読んだ?」
貸出期限を延長して、つばめにまた貸ししたが、おそらく読んではいないだろう。
「読んだ、読んだ。あれはやばいね。究極の弟属性」
電車に乗り合わせた「ぼく」が「小説のお姉さん」に想いを寄せる、というただそれだけの話だが、あれは「小説のお姉さん」ではなく、正確には「小説家のお姉さん」なのだという。
ハバタキのプロデューサー情報によると、藤岡春斗には五歳年上の小説家のお師匠がいて、明らかにその人が「小説のお姉さん」のモデルであるらしい。
女性小説家の名は、高槻沙梨。
中学三年生だったハルちゃんを小説の世界に導いた女神であり、憧れの人。
「お姉ちゃんには言ったの?」
「言うわけないじゃん。傷心まちがいないもん」
今までお姉ちゃんの恋人はバスケだったけれど、引退試合になってしまったブザービーターのせいで、両想いの恋人だったバスケとはギクシャクしている。
その心の隙間にすっと童顔の小説家が入り込んできたが、おそらく片想いで終わる。
ウェイトレスの格好をしたお姉ちゃんが食器を片付けにきて、「そろそろ上がれるから、先に行っていてよ」と言った。伝票は渡されず、会計はもう済んでいるようだった。
つばめは「エリサちゃん、神っ!」と、お馴染みのボキャ貧なコメントを発した。
背中でゆらゆらしているポニーテールが、揺れる乙女の恋心に思えた。
お姉ちゃんは、私に「あるてぃまにそっくりだね」と言ったことがある。
蝶が羽を広げたような大きな耳と飾り毛は、ツインテールのように見えなくもない。
初等部でショートカットだったアリサは、あるてぃまを飼い始めてからツインテールにした。飼い犬のパピヨンに似せたんだろう、と思われているけれど、実際は違う。
バスケに夢中だった頃、ずっとベリーショートだったお姉ちゃんが急にポニーテールにしだしたのを見て、アリサはツインテールにした。
私の憧れのお姉さんは、電車のなかではなく、ずっとバスケコートにいた。
憧れの「バスケのお姉さん」が「アルティメットのお姉さん」に変わろうとしている。
夜明けは近い、そんな気がした。




