変わりゆく正義
今日は私の過去について語ろう。
かつての私は心が荒んだ狂戦士だった。
地獄から舞い戻った死体製造機、それが私の中学時代の通り名だ。
毎日、喧嘩に明け暮れ一日五百人くらいの不良たちを滅殺していた。
人々は私を恐れ、誰も私の側には寄っては来なかった。
そんな私が現在のように、慈愛に満ちた生ける神話とまで呼ばれるようになった原因とは何か?
きっと君たちは知りたいのだろう。そうに決まっている。
今までも私の脳内では毎日一億くらいのそういった質問の感想通知が届いていた。
何ともこそばゆいではないか。
だがか弱き子羊どもよ、恥じ入る事は無い。
人が空の美しさに恋焦がれ、天を目指すように、万民がふじわらしのぶに憧れを抱くのはごく自然な事だ。
許す。
私を崇め奉る事を、私は許す。
さあ存分に私を愛でるがいい。そしてポイントといいねを山のように寄越すがいい。
というわけで今回のしようもない話は転機だ。
このどこまでも曇天だけが続く冥府魔道まっしぐらの現世にはふさわしい話題だと私は思う。
要するに転機とはそれまで続けていた自分の在り方を変えるタイミングだ。
夏休み前は初心な清純派だった想いを寄せるクラスの女子が、夏休みが終わった後にはピカチュウが進化するとライチュウになるみたいな圧倒的ガン黒ギャルになっていた…というよくあって欲しくはない類の話だ。
そうイメチェンの時期に関する話だ。
現実は過去だ。
救いなどありはしない。
確固たる意志を持つ者だけが理想に近づく事を許される。
その先に進む事を望むのであれば、自身の変化を強いられる事も多々あるというものだ。
その道たるや決して容易ではない。
唯一無二の己を変えろというのだ。容易であるはずがない。
だが意固地で狭量な自我だけで渡って行けるほど世間というものは甘くはない。
必ずどこかで折り合いをつけなければならない。
今まで逆に転機を迎えていない者は危機感を覚えた方がいい。無敵と不戦勝は危うい。
発生の根幹の部分で重大な過ちをしている可能性がある。常に背後には気を配っておく事が肝要だ。
無知と勇敢は紙一重と知れ。
だが転機は「いつやるか今でしょ?」みたいな感じで決めていいものではない。熟慮が必要だ。
考えて考えて、常に己の判断が正しいかを考えた末に決断を下すべきだ。
変化を恐れる事は恥ではない。己のというものは唯一無二、それこそ取り返しがつかないのだから。
今日でも明日でも、その先でもいい。ゆっくり考えて結論を導き出すのだ。
結果がついて来るかどうかはまた別の話となるが、その後の人生に関わる決断と責任を背負い込んだ人間の言葉には深みというものが加わる。
文字を媒体とした創作に関わる人間ならば二つとない成長を実感できるはず。
もしも、それを達成できれば心地良い達成感が君を待つ事だろう。
そして最後に一つ、ライチュウは悪ではない。
あの武蔵丸みたいな体格とエレキングみたいな角がいいんじゃないか。
もう一度、言っておく
ライチュウは悪くない。あのアニメが間違っているのだ。
ピカ―、ピッカ、ピカ―。ピカチュー。
(訳 ライチュウに重要なんてねえよ。つーかアニメの主人公もうサトシじゃねーし)