ビバ ディストピア‼
「あまり強い言葉を使うな。弱く見えるぞ?」
かつて愛染隊長がイキっている若者に向って投げかけた言葉だ。
多分、彼の性格から考えて過去の自分への提言だったのだろう。
つまり過去に体調はエルビス・プレスリー級のリーゼントでキメキメだった時期があり、その頃に黒崎一護の父親が全盛期だった頃に「スカしてんじゃねーぞ、コラ!」みたいな事を言って分からされた経緯があるのだろう。
故に重みというか破壊力が抜群だったのだ。
若さゆえの過ちを責めてはいけない。
私もエヴァンゲリオンの一番古い劇場版が終わった後に起こったオタク界隈の論争でかなりイキっていた。
当時を思い出すと…「うおおおおおおっ‼死にてええ‼」という気分になる。
誰しも若き日の過ちというものはあるのだ。
みんなもあるよね?
ね?
ねえってば⁉…この嘘つきのロクでなしどもが…。
いいか、覚えておけよ。
人間は真実一路には生きていけないように設計されているんだよ。
お前らの行為は即ち、摂理への反逆に他ならない。
大罪人どもめが…。
というわけで今回はモラトリアムの永続性についての話だ。
ぶっちゃけ自称「完成された人格を持った大人君」どもにとっては不快な話なので自覚があるヤツはブラバしてくれ。
まずモラトリアムってのは子供から大人になるまでの中間的な期間だ。
一般的には思春期的なものだが大人というゴールにたどり着く為にはモラトリアムという時間を過ごさなければならないらしい。
実にクソな話だろ?
俺がこの話をクソ呼ばわりするには理由がある。
まず大人になれば人間は悩みを消化出来るのか?って話だ。
答えは俺ごときが言うまでもない。
悩みは増える一方で解決はしないし、ストレスのせいで疲労感は十割増しになる。
俺の若い頃はだな、モラトリアムという期間すら設けられなかった。マジな話だ。
ある日、いきなり大人の世界に叩き込まれて年長者面をした役立たずどもから容赦ない虐めを受ける。
文句を言えば足腰が立たなくなるまで殴る蹴るをされる、それが平成初期の日本の日常だった。
今の格差が広まった日本がどれほど良くなったか、それを考えてみて欲しい。
まあ俺の愚痴はどうでもいいや。
結局生き残ったのは俺だけだからな。
話を続けるぜ。
例え大人になっても悩みが解決するわけじゃない。
よく精神年齢がどうんこうのとか言う唐変木がいるが、アレも見当外れも甚だしいってモンだ。
精神年齢が上がれば問題のハードルが下がるのか?
是非俺のようなバカでもわかるように説明して欲しいものだ。ま、無理だろうが。
人間は歳を重ねると周囲の兼ね合いも考えなければならないから基本、口が重くなる。
若い連中は勢いがあって向こう見ずだから新しい切り口を見つけられる。
精神年齢の高さってのは一長一短なわけだ。
孫子も臨機応変でかかれ、とと九変の法に書いてあったような気がする。
極論としては「 大人 = 完成 」ではないわけだ。
第二に永続性についての話だが、ぶっちゃ俺の親つまりけ前の世代のとりあえず結婚してガキつくっときゃOKみたいな世界観からは脱却すべきだと思う。
話は飛ぶが「クレヨンしんちゃん」の「野原ひろし」と「野原みさえ」が初登場した時は1990年代、初頭だ、バブルに凋落の兆しが見えていても日本は高度経済成長期の真っただ中だったんだぜ?
定期預金の利率も11%くらいだった。
テレビでも一億くりあ預金すれば一生、遊んで暮らせるみたいな事を大々的に宣伝していた。
そういう時代だ。今は見る影も無いがな。
前世紀を含めて寿命も長くなったし、ガキを育てるにも金がかかるようになった。
あまりこういう事は言いたくないがガキ作るより、独身で生涯を終えた方が勝ち組の時代だ。
お国は税金が欲しいから未だにレッツ子作りを奨励してくるが…まあそれも良しだ。
何十年か後に火だるまになる人間は多い方が祭も楽しくなる。
だが一般の俺たちはターニングポイントに立たされているという事を考えなければならないだろう。
個人の幸福を追求するか、人類社会の発展に貢献すべきか。
こんな虐めた方が得をするようなヘイト社会で育てば後者の意見に賛同する者は一体どれだけいるだろうか…いねえだろうな。
ゆえにその為のモラトリアムだ。
周囲がそうしているから、とか前例ばかり気にしていないでゆっくりと自分の考えを熟成させるべきだろう。
年齢は関係無い。
流れや勢いでバンバン子供を産み捨てる今の世の中の悪習に染まってはいけない。
あくまで自分で考えて結論を出せばいいんだ。
そして周囲はモラトリアムたちの煮え切らない態度を受け止める大らかな心を持てばいい。
それこそが真の大人というものだ。
だが今さえ良ければいいだけの人間が一億総活躍して日本終了という未来も捨てがたいんだな、これが。




